飯島新田稲荷神社。飯島惣左衛門が耕地の安泰を祈って奉斎
飯島新田稲荷神社の概要
飯島新田稲荷神社は、比企郡吉見町飯島新田にある神社です。飯島新田稲荷神社は、正保年間から元禄年間にかけて(1644-1688)開発された飯島新田の鎮守として飯島惣左衛門が、耕地の安泰を祈って奉斎したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 水神、天満、辨天 |
祭日 | - |
住所 | 比企郡吉見町飯島新田563 |
備考 | - |
飯島新田稲荷神社の由緒
飯島新田稲荷神社は、正保年間から元禄年間にかけて(1644-1688)開発された飯島新田の鎮守として飯島惣左衛門が、耕地の安泰を祈って奉斎したといいます。
新編武蔵風土記稿による飯島新田稲荷神社の由緒
(飯島新田)
稲荷社
村の鎮守なり、成就院の持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による飯島新田稲荷神社の由緒
稲荷神社<吉見町飯島新田五六三(飯島新田字内谷)>
飯島惣左衛門によって開発されたと伝えられる飯島新田は、市野川右岸の低地に位置する農業地域である。飯島惣左衛門がどのような人物で、いつごろ開発を行ったのかといったことについては明らかではないが、飯島新田の名は正保の検地に見えず、元禄の検地に初めて現れるため、村の開発は、正保年間から元禄年間までの時期(一六四四-八八)と思われる。
当社をこの地に祀ったのも、村の開発と同じころと考えられ、祭神の倉稲魂命は一般に農業の神とされていることから、耕地の安泰を祈って奉斎したものであろう。『比企郡神社誌』には「土着の古老の言」として、「五、六代前の老人等により言伝に皆御鎮守様とのみ称へて石の祠を老木の根本に奉り信仰の的となし、幾星霜を経て現在の御社となる」という話を載せているが、今ではこうした話を知る人も少なく、「石の祠」がその根元に祀られていたという老木もかなり昔に枯死してしまったのか、境内にそれらしい樹木は見当たらない。
昭和初年までは、当地は幾度となく洪水に見舞われ、市野川の堤に近い当社境内に濁流が押し寄せることも度々あった。そのため、社殿は水害を避けるために水塚の上に築かれている。また、水塚の前には水神や弁財天の石祠も祀られており、境内東側のホウダンボ沼(平成二年に埋め立て)の傍らで水神祭が毎年七月二十五日に行われる。(「埼玉の神社」より)
飯島新田稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)