長谷八幡神社。比企郡吉見町長谷の神社

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長谷八幡神社。江戸幕府より御朱印状を受領した町内唯一の社

長谷八幡神社の概要

長谷八幡神社は、比企郡吉見町長谷にある神社です。長谷八幡神社は、下野守藤原秀郷が天慶年間(938-947)に応神天皇を祀って創建したと伝えられます。江戸期には村の鎮守として祀られ、八幡山と呼ばれる小丘に鎮座していましたが、昭和40年代に関越自動車道建設のための採土により、境内地が崩壊してしまったため、昭和47年当地へ遷座したといいます。

長谷八幡神社
長谷八幡神社の概要
社号 八八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 七鬼神、清瀧辨財天、御嶽山座王権現、八雲社、恵方稲荷社
祭日 春祭り4月15日、例祭7月24日、秋祭り10月15日
住所 比企郡吉見町長谷1185-2
備考 -



長谷八幡神社の由緒

長谷八幡神社は、下野守藤原秀郷が天慶年間(938-947)に応神天皇を祀って創建したと伝えられます。江戸期には村の鎮守として祀られ、八幡山と呼ばれる小丘に鎮座していましたが、昭和40年代に関越自動車道建設のための採土により、境内地が崩壊してしまったため、昭和47年当地へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による長谷八幡神社の由緒

(長谷村)
八幡社
村の鎮守なり、長永寺の持、
末社。稲荷社、諏訪社、淺間社
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牛頭天王社
同寺持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による長谷八幡神社の由緒

八幡神社<吉見町長谷一二一二(長谷字十ノ谷))>
当社の創祀は古く、天慶年間(九三八-四七)に下野守藤原秀郷が村民らと共に応神天皇を祀って一社を建立したことに始まると伝えられている。
『風土記稿』には「八幡社 村の鎮守なり、長永寺の持、末社 稲荷社 諏訪社 浅間社」と載せている。これに見える長永寺は岩田山密教院と号する真言宗の寺院であったが、明治初年に廃寺となった。
鎮座地は元来、八幡山と呼ぶ小高い山(標高七二メートル)の頂であった。参道は「男坂」と「女坂」があり、「男坂」が一一一段の石段を一直線に登り詰めるのに対し、「女坂」は緩やかな坂を登って行くものであった。
しかし、昭和四十年代に入ると、関越自動車道久喜インター建設のための採土がこの山の周囲で行われたことから、参道の各所に崩れが生じ、参詣に支障を来すようになった。このために社殿等の移転を余儀なくされ、山麓に新たな社地を選定し、昭和四十七年四月十五日に遷座祭を執り行った。山頂にあった社殿をはじめ石造物などもすべて新たな社地にそのまま移し、更に参道の一一一段の石段は、神徳の更なる興隆を願って社殿の基礎に使用した。
なお、かつての鎮座地である八幡山は既に跡形もなくなっている。(「埼玉の神社」より)


長谷八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)