谷口稲荷神社。比企郡吉見町谷口の神社
谷口稲荷神社の概要
谷口稲荷神社は、比企郡吉見町谷口にある神社です。谷口稲荷神社は、貞和元年(1345)の勧請といわれ、金子家の氏神が後年村持ちになったともいわれます。江戸期には谷口村の鎮守社となっていました。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 夏祭り7月10日 |
住所 | 比企郡吉見町谷口99 |
備考 | - |
谷口稲荷神社の由緒
谷口稲荷神社は、貞和元年(1345)の勧請といわれ、金子家の氏神が後年村持ちになったともいわれます。江戸期には谷口村の鎮守社となっていました。
新編武蔵風土記稿による谷口稲荷神社の由緒
(谷口村)
稲荷社
村内の鎮守なり、村持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による谷口稲荷神社の由緒
稲荷神社<吉見町谷口五六四(矢口字谷筑)>
谷口の集落の中ほどに位置する当社の参道入り口には、古びた石の鳥居が立っている。この石鳥居には「正一位稲荷大明神」と刻まれた石製の社号額が掛かっており、その額縁に彫り込まれた天空を舞う双竜には力強さが感じられる。そこから、長い参道を歩いて行くと、正面が小塚の上に築かれた社殿である。小塚の周りには、銀杏・欅・杉などの古木が茂っているが、長年の洪水と風雪に耐え抜いてきたこれらの樹木は、当社の歴史と共にあると言っても過言ではない。
当社の創建については、社殿に貞和元年(一三四五)勧請とあるものの、それ以外は不明であり、一説によれば金子仁蔵家の氏神が後年村持ちになったものともいわれている。金子家の屋敷跡は当社の南側である。また、現在のところ、鎮座地の谷口村の開発についても史料等がなく、明らかではない。それは荒川の度々の氾濫によって史料が流出したり、近村同様に村が荒廃した時期があったためと思われる。
『風土記稿』でも、当社については「稲荷社 村内の鎮守なり、村持」とあるだけで、別当は置かれていなかったものか記載がない。しかし、一間社流造りの本殿には数か所「卍」の紋が取り付けられていることから、当社の近くにある真言宗妙蓮寺が当社の祭祀に関与していたと推測される。ちなみに、本殿については、正保年間(一六四四-四八)及び貞亨年間(一六八四-八八)の造営記録を伝えている。(「埼玉の神社」より)
谷口稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)