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岩室観音堂。比企郡吉見町北吉見にある真言宗智山派寺院

岩室観音堂の概要

比企郡吉見町北吉見にある岩室観音堂は、龍性院の境外仏堂です。岩室観音堂は、真言宗の宗祖弘法大師が、諸国遊歴の際に、当地で観世音の尊像を彫刻しこの岩窟に納めて創始したといいます。豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた際、松山城と共に観音堂も焼失、龍性院中興第三世・堯音法師が寛文年間(1661-1673)に再興したといいます。比企西国三十三所3番です。

岩室観音堂本堂
岩室観音堂の概要
山号 岩室山
院号 龍性院
寺号 湯澤寺
本尊 正観世音菩薩
住所 比企郡吉見町北吉見309
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



岩室観音堂の縁起

岩室観音堂は、真言宗の宗祖弘法大師が、諸国遊歴の際に、当地で観世音の尊像を彫刻しこの岩窟に納めて創始したといいます。豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた際、松山城と共に観音堂も焼失、龍性院中興第三世・堯音法師が寛文年間(1661-1673)に再興したといいます。

新編武蔵風土記稿による岩室観音堂の縁起

(根小屋村)觀音堂
古城跡西北の麓岩室山にあり、故に土人岩室觀音と號す、正觀音なり。(新編武蔵風土記稿より)

吉見町・埼玉県掲示による岩室観音堂の縁起

岩室観音と石仏
岩をうがって観音像をまつったところから岩室観音という。龍性院の境外仏堂である。
この観音のはじまりは弘仁年中(八一〇~八二四年)といわれていいるが、たしかな記録は残っていない。
松山城主が代々信仰し護持していたが、天正十八年(一五九〇)松山城の攻防戦の際に兵火にあって当時のお堂は焼失してしまった。
現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(一六六一~一六七三年)に龍性院第三世堯音が近郷近在の信者の助力を得て再建したものである。お堂の造りは懸造り様式で、江戸時代のものとしては、めずらしいものである。
また、ここにある石仏は、四国八十八ヶ所弘法大師巡錫の霊地に建てられた寺々の本尊を模したもので、八十八体の仏像がまつってある。
また、この石仏をおがめば、いながらにして四国八十八ヶ所を巡拝したのを同じ功徳があるとされている。(吉見町・埼玉県掲示より)

吉見町・埼玉県掲示による岩室観音堂の縁起

岩室観音について
一、縁起
武州比企郡岩室山の正観世音は、その昔、嵯峨天皇の御宇・弘法大師が諸国を遊歴しこの地に至り、岩窟を選び三昧に入り、観世音の尊像を彫刻しこの岩窟に納め、岩によりて殿をかまえ岩室山と号し多くの人を血縁せしめました。
天正の終わり事、太閤秀吉関東に出馬したとき、石田三成の士卆によって松山城が灰燼となり、その餘焔大殿にかかり堂宇残らず消失しても、尊像だけが不思議にも岩窟内に無事おわしました。
その後、龍性院中興第三世・堯音法師が師命を受けて遠近を駆け巡って檀信徒の助力を募って、寛文年中に現在のお堂を造営したと伝えられています。
二、お堂
この建物、懸造りと称して、有名な京都清水寺の観音堂と同様で、稀に見る貴重な建物です。
三、ご縁日は毎月十八日
災難除け、交通安全、商売繁盛、安産等あらたらかな霊験は、広く知られています。
岩室山龍性院(境内掲示より)


いいお墓

岩室観音堂の周辺図