金剛山観音寺|東京三十三観音霊場
観音寺の概要
天台宗寺院の観音寺は、金剛山円通院と号します。観音寺は、大阿闍梨法印光海(天正元年1573年寂)が開山したと伝えられます。当所居木橋の南方にあったものの、江戸時代初期に当地へ移転したといいます。東京三十三観音霊場2番札所です。
山号 | 金剛山 |
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院号 | 円通院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 品川区大崎3-8-12 |
本尊 | 釈迦如来像 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | 観音寺会館を宗旨宗派問わず可能 |
備考 | 東京三十三観音霊場2番 |
観音寺の縁起
観音寺は、大阿闍梨法印光海(天正元年1573年寂)が開山したと伝えられます。当所居木橋の南方にあったものの、江戸時代初期に当地へ移転したといいます。中興開山の第十三世法印智淵の代に赤坂山王(山王日枝神社)別当の城琳寺末となりましたが、明治元年同寺廃寺に伴い、三田西蔵院末となり、さらに明治43年9月に他の同宗3ヶ寺(安楽寺、宝塔寺、徳蔵寺)と共に比叡山延暦寺の直末となったといいます。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(居木橋村)観音寺
境内除地1段8畝、村の東南五社明神社(現居木神社)の裏にあり、天台宗江戸麹町城琳寺末、古は東雉山松琳院と号せしが、何の頃にか金剛山円通院と改む。開山は大阿闍梨法印光海、天正元年9月3日示寂す。中興開山は第十三世法印智淵享保の頃の人なり。此時始て城琳寺末となれり。当寺も(居木神社と同じく)昔は居木橋の少し南の方にありしとぞ。其跡に今石地蔵残れり。客殿6間に5間、本尊釈迦如来は坐像にして長2尺許脇士文殊普賢を安ず。
観音堂。3間に2間半、客殿の北の方にあり。本尊は如意輪観音なり。慈覚大師の作と云傳ふ。(新編武蔵風土記稿より)
観音寺の周辺図