延寿寺|台東区谷中にある日蓮宗寺院

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六浦山延寿寺|台東区谷中にある日蓮宗寺院

延寿寺の概要

日蓮宗寺院の延寿寺は、六浦山と号します。延寿寺は、覚性院日勤が明暦3年(1657)に大乗山延寿院として開山、宝暦5年(1755)に六浦山延寿寺と改めたといいます。

延寿寺
延寿寺の概要
山号 六浦山
院号 -
寺号 延寿寺
住所 台東区谷中1-7-36
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



延寿寺の縁起

延寿寺は、覚性院日勤が明暦3年(1657)に大乗山延寿院として開山、宝暦5年(1755)に六浦山延寿寺と改めたといいます。

「下谷區史」による延寿寺の縁起

延壽寺(谷中上三崎南町七六番地)
身延山久遠寺末、本尊釋迦、四菩薩、文殊、不動、多寶、四天王、普賢、愛染、日蓮木像。六浦山と號す。明暦三年八月、瑞輪寺五世慈眼院日遼弟子覺性院日勤の開く所で、はじめ大乗山延壽院と號した。寶永年間三世玄収院日統の代に久遠寺直末となり、寶暦五年十世日鑑の時今の號に改め、院號を寺號に更めた。
明和九年の大火と明治元年の兵火に罹り、現在の本堂は明治七年建築するところである。
境内日荷堂の日荷上人像は、日鑑が久遠寺山本坊より勧請する所で、脚気その他足疾ある者に靈驗があると言はれる。その由来は日荷上人は俗稱を荒井平次郎光吉といひ、武州六浦に在し、日蓮大士の化道を尊み、その上足日祐(中山法華經寺三世)に随從し出家得度して妙法と號し、文和二年六月十三日示寂、日荷上人と謚したのであるが、嘗て金澤稱名寺の僧と戯れに碁を圍み、彼の寺の仁王尊を賭物とし、日荷勝ちたれば、遂に之を負て身延山に行つたといふ膂力脚力壮絶の傳説があるためである。當寺の山號を六浦といふのも亦上人に因縁するものである。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による延寿寺の縁起

甲斐国久遠寺末 谷中不唱小名
六浦山延寿寺 玉林寺借地360坪。
起立、明暦3年8月、古ハ大乗山延寿院と申候処、宝暦5年6月大乗山を六浦山と相改申候。
開山覚性院日勤、延宝4年9月朔日遷化。
客殿6間半4間半。本尊釈迦、多宝、四菩薩、文殊、普賢、四天王
妙見社2間ニ2間半。神体木像。
日荷堂2間ニ4間。日荷木像。右、日荷上人は相州六浦荒井之城主播磨守と云。出家して妙法禅門日荷上人と号す。此像ハ身延山三門に安置之像と同木同作にして、禅門自作と云縁起有之。其文略す。以上丙戊書上。(御府内寺社備考より)


延寿寺所蔵の文化財

  • 延寿寺日荷堂の絵馬(台東区登載文化財)

延寿寺日荷堂の絵馬

延寿寺は明暦2年(1656)に開創された日蓮宗寺院です。宝暦5年(1755)久遠寺に蔵されていた日荷像を勧請し、安永元年(1772)に日荷堂を建立して、本尊としました。
日荷は武蔵国久良岐郡六浦(現横浜市六浦)の人で、日蓮の高弟、日祐の弟子となり妙法と号しました。六浦にて、自ら造立したニ躰の仁王像を背負い、一昼夜のうちに身延山久遠寺に運び上げ、山門に安置したと伝えられます。
日荷堂の絵馬は、仁王像を背負い、六浦から身延山までの険しい道を歩いた日荷の健脚につなんで、足病平癒の祈願のために奉納されたものです。日荷堂には現在、絵馬が75点、文字額が8点残されています。
はきものの絵馬が残された寺社は多くありますが、この日荷堂のように種類・点数が豊富で、保存状態が良好なものは少なく、極めて貴重です。
延寿寺日荷堂絵馬群は平成8年に台東区有形民俗文化財に登載されました。(台東区教育委員会掲示より)


延寿寺の周辺図


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参考資料

  • 御府内寺社備考
  • 「下谷區史」


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