長命山覚王寺|東三十三所観音霊場
覚王寺の概要
船橋市本町にある真言宗豊山派寺院の覚王寺は、長命山金剛院と号します。覚王寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には近隣に末寺・門徒寺を擁する小本寺格の寺院だったといいます。東三十三所観音霊場25番です。
山号 | 長命山 |
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院号 | 金剛院 |
寺号 | 覚王寺 |
住所 | 船橋市本町3-24-6 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
覚王寺の縁起
覚王寺の創建年代等は不詳ながら、室町時代後期の開創と伝えられ、江戸時代寛文〜元禄頃から隆盛、近隣に末寺・門徒寺を擁していたといいます。明治維新後長榮寺、養性寺を合寺しています。
「船橋市史」による覚王寺の縁起
(九日市村)覚王寺
真言宗。長命山金剛院と号する。前記村鑑には、本尊は観世音とある。寛永十年本末寺帳には、千手院(佐倉市井野)の末寺として載せられている。「真言本末」によれば、同じく千手院直末で、覚王寺自身も末寺として九日市村円蔵院・同村不動院・夏見村薬王寺、門徒寺として九日市村長栄寺・五日市村専蔵院・海神村地蔵院・稲荷木村(市川市)福王寺(註:現稲荷山雙輪寺)・金杉村金蔵寺・前原村明光院を配下としていた。「船橋村書上帳」には境内五反三畝六歩とある。(「船橋市史」より)
「船橋町史」による覚王寺の縁起
覺王寺
長命山金剛院覺王寺と號し、新義眞言宗豊山派に屬す。創立不詳。本堂には本尊大日如来を安置す。舊記として正觀世音略縁起一冊存す。境内佛として龍王宮あり。縁日四月三日とす。末寺七ヶ寺、(不動院、圓蔵院、地蔵院、専蔵寺及夏見薬王寺、金杉金蔵寺、行徳福王寺(註:現稲荷山雙輪寺))あり。(「船橋町史」より)
覚王寺所蔵の文化財
- 難陀龍王堂(市指定文化財)
難陀龍王堂
覚王寺は真言宗豊山派の寺院で、室町時代後期の開創と伝えられ、江戸時代寛文〜元禄頃から隆盛したといわれる。
龍王堂の本尊難陀龍王は海上守護の神で、龍神様として船橋漁師町の人々の信仰を集めてきた。覚王寺年中行事記によれば、毎年4月3日には海上安全・豊漁祈願のための難陀龍王護摩供が修され、護符が配られたという。
現在の堂は嘉永3年(1850)に再建された。その時の棟札が残されており、大工棟梁は船橋九日市の芝谷兼吉平政保である。寺伝によれば、江戸時代末期には津波の被害により伽藍が荒廃していたが、その当時の住職が本堂再建を企画し、難陀龍王堂も再建したという。
総欅造、形式は一間社流造である。全体を覆う彫刻がこの堂を特徴づけている。彫刻師は江戸長谷川町の松田乙次郎藤原一元である。正面(南)の彫刻は龍、北・東・西面は仙人や仙女であり、彫りが深く立体感のある表現で、躍動感にあふれており見事である。(船橋市教育委員会掲示より)
覚王寺の周辺図
参考資料
- 船橋市史
- 船橋町史