善栄寺|館山市塩見にある真言宗智山派寺院

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安養山善栄寺|館山市塩見にある真言宗智山派寺院

善栄寺の概要

真言宗智山派寺院の善栄寺は、安養山と号します。善栄寺の創建年代等は不詳ながら、善栄寺の本尊については口上書が残されています。江戸時代に善栄寺本尊が盗難にあい、廻り廻って麻布善福寺で開帳されたところを、当寺檀家が発見、檀徒の六兵衛と西宮又兵衛の尽力により7年越しに当寺へ戻ってきたといい、現在も本尊仏として祀られているといいます。

善栄寺
善栄寺の概要
山号 安養山
院号 -
寺号 善栄寺
住所 館山市塩見1051
宗派 真言宗智山派
縁日 -
葬儀・墓地 -
備考 -



善栄寺の縁起

善栄寺の創建年代等は不詳ながら、善栄寺の本尊については口上書が残されています。江戸時代に善栄寺本尊が盗難にあい、廻り廻って麻布善福寺で開帳されたところを、当寺檀家が発見、檀徒の六兵衛と西宮又兵衛の尽力により7年越しに当寺へ戻ってきたといい、現在も本尊仏として祀られているといいます。

「館山市史」による善栄寺の縁起

最も珍しく、興味のあるのは、末寺の塩見村(館山市塩見)善栄寺本尊仏の由来についての「口上之趣」が残っていることである。今、その概要を摘記すると
今度、善栄寺本尊仏が発見されたのは、江戸神田の仏鋳物師のところで、その鋳物師が、三年前に、麻布善福寺の寺中金蔵寺に頼んで、右の本尊仏を熔かそうとしたが、どうしても熔けないので、金蔵寺へ来ていうのに、去年(延宝七年)春頃、出家とも、道心者ともしれない者が、私の店へやって来て、私が売物に作って置いた錫杖を見て、是非欲しいといい、また近頃、その仏像を譲る約束をしたところ、それ以来、親、妻、兄弟とも、病気に悩まされ、弟子も気違いになり、その上、商売も振わず、大分損した。そこで、これは仏のたたりと思い、仏に申し上げ、どのような寺へでも預けたいと思う。浅草の本誓寺、神田の伝通院、新田嶋(霊岸島)の霊巌寺、芝、麻布善福寺の四カ所の寺を書立て、御鬮作って、この内どの寺でも、望まれる寺へ預けよう、祈願して御鬮を引いたところ、三度とも麻布善福寺へと、御鬮が下りた。そこで、善福寺の寺中金蔵寺へ参り、善福寺へお預けしたいと申したところ、金蔵寺では、自分一人の料簡では決めにくいので寺中の善光寺、正明寺の三僧が相談して、善福寺へそのわけを話して、仏を預けた。ところが、当六月上旬の頃、仏が客殿へ、御出ましなされたので、参詣の者が、非常に多くなった。そのころ、芝西宮の又兵衛という者が参詣して、仏を拝み、ことの外殊勝に思ったところ、七年前に房州山下郡塩見村善栄寺の本尊が盗まれた事を思い出した。そこで塩見村から檀家衆が、又兵衛方へ来たので、くわしく、わけを話すと、是非仏を拝みたいというので、又兵衛が、同道して善福寺へ行きお拝ませたところ、善栄寺の仏に間違いないとわかり、一且、帰国した。その後、塩見村六兵衛が、又兵衛方へ仏の台座を持参して、彼の仏は、善栄寺の本尊に間違いないから、是非、われらにもらい請けてくれるように頼んだので、又兵衛の考えで、同町の金左衛門、源右衛門、両人が、金蔵寺の檀徒であったので、商人を通じて、金蔵寺から善福寺へ、そのわけを話した。
善福寺では、仏の元主であるならば、返えそうという返事であったので、如来主六兵衛、証人芝、又兵衛と手形印をして、善栄寺へ差上げ、間違なく仏を、善福寺へもらい請けた事の実証であると記してある。「口上之趣」の最後の所に、左のように記載されてある。
要するに、これは、塩見村善栄寺の盗まれた本尊仏が、霊験あらたかで、七年後に檀徒の六兵衛と西宮又兵衛の尽力によって、もとの善栄寺に戻った経緯を記した口上書である。この仏像は、現在、善栄寺の本尊仏として祀られ、檀信徒に帰信されている。(「館山市史」総持院項より)


安養山善栄寺の周辺図