延寿稲荷|千代田区神田須田町の神社
延寿稲荷の概要
延寿稲荷は、千代田区神田須田町にある稲荷神社です。延寿稲荷は、土井能登守初代利房(老中土井利勝四男)が江戸詰めとなった際、下屋敷の鎮守として祀られたと伝えられます。明治維新後、土井能登守は牛込へ転居、残された稲荷神を地域の守護神として祀っているといいます。関東大震災後の区画整理に際しても、土井家の領国あった越前大野に鎮座する柳逎神社内の延寿稲荷を勧請して再興しています。
社号 | 延寿稲荷 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 9月15日前後(出世稲荷と同日) |
住所 | 千代田区神田須田町1-1 |
備考 | - |
延寿稲荷の由緒
延寿稲荷は、土井能登守初代利房(老中土井利勝四男)が江戸詰めとなった際、下屋敷の鎮守として祀られたと伝えられます。明治維新後、土井能登守は牛込へ転居、残された稲荷神を地域の守護神として祀っているといいます。関東大震災後の区画整理に際しても、土井家の領国あった越前大野に鎮座する柳逎神社内の延寿稲荷を勧請して再興しています。
「千代田の稲荷」による延寿稲荷の由緒
延寿稲荷神社が所在する神田須田町一-一付近は、江戸時代は土井能登守下屋敷地であり、当社は土井能登守初代利房(老中土井利勝四男)が江戸詰めとなった折りに屋敷神として祀られたと伝えられている。
明治四年(一八七一)、明治政府の廃藩置県施行にともない、土井能登守八代利恒は下屋敷を廃して牛込に転居したが、当社はこの地の守り神として残された。それ以後、地域の守護神として近隣住民によって祀られている。また、関東大震災後、昭和初期の区画整理により一時社殿を失うが、町内で疫病が流行したことを契機に、住民有志が土井家の領国である越前大野へ赴き、柳逎神社内の延寿稲荷を再度勧請して再興した。現在は、同じ町内に所在する出世稲荷神社と同日に例年祭礼を行なっている。(「千代田の稲荷」より)
延寿稲荷の周辺図
参考資料
- 「千代田の稲荷」