大柳稲荷|千代田区内神田の神社

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大柳稲荷|大正時代に建立、神田神社の境外末社

大柳稲荷の概要

大柳稲荷は、千代田区内神田にある稲荷神社です。大柳稲荷は、大正時代末期に多町一丁目町会の人々が中心となり建立、柳の木を植樹したことから大柳稲荷と称したと伝えられます。神田神社の境外末社となっています。

大柳稲荷
大柳稲荷の概要
社号 大柳稲荷
祭神 -
相殿 -
境内社 -
住所 千代田区内神田3-22
備考 -



大柳稲荷の由緒

大柳稲荷は、大正時代末期に多町一丁目町会の人々が中心となり建立、柳の木を植樹したことから大柳稲荷と称したと伝えられます。神田神社の境外末社となっています。

「千代田の稲荷」による大柳稲荷の由緒

大柳稲荷神社は関東大震災後の大正末期に、多町一丁目町会の人々を中心として当時の多町一-四(現・内神田三-一三-七)に建立された。その時に柳の木を植樹したことからこの社名がついたと伝えられている。しかし、戦災で社殿が焼失し、昭和二五年に旧多町一-八に住んでいた人の好意で敷地の一部に再建を再建することができた。
その後、この土地所有者が社地を含めた土地を手放すこととなり、昭和二八年には同町内に住む別の人が同地を購入して、社殿が建てられた土地部分を町会所有とする手続きをとった。現在は神田神社境外末社となっている。
毎年三月の午の日に祭礼が行なわれているが、この日が土日にあたる場合は、次の午の日に延期する。町内でも店舗は神田にあるが、住居は他地にあるという人もいるので、土日になると参列者も減ってしまうため平日に行なうように計画されている。祭礼当日は、神田神社から神職を招いて神事が行なわれ、毎年二〇名ほどが参列する。参列者の高齢化が進んでいるということだが、近年は青年部からの参列も増えた。神事後は直会があり、会食が用意されるが、地域柄、ほとんどの参列者が飲食店経営者・会社経営者であるので、会自体は一時間ほどで終了して各自仕事に戻っていく。飲食街にあるので、昼食や帰宅の途中の会社員が手を合わせる姿もみられるという。建立時に植樹した柳の木は、昭和五八年まで存在していた。(「千代田の稲荷」より)


大柳稲荷の周辺図


参考資料

  • 「千代田の稲荷」