真圓山東陽院|十返舎一九墓、昭和5年浅草永住町から移転
東陽院の概要
日蓮宗寺院の東陽院は、真圓山と号します。東陽院は、浄源院日隆が慶安元年(1648)に善立寺塔中として創建、関東大震災で被災し、昭和5年(1930)浅草永住町から当地に移転したといいます。
山号 | 真圓山 |
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院号 | 東陽院 |
寺号 | - |
住所 | 中央区勝どき4-12-9 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東陽院の縁起
東陽院は、浄源院日隆が慶安元年(1648)に善立寺塔中として創建、関東大震災で被災し、昭和5年(1930)浅草永住町から当地に移転したといいます。
「日蓮宗明細簿」による東陽院の縁起
真円山 東陽院
日蓮宗に属する。慶安元年開山浄源院日隆上に人よって丸の内鍛冶橋附近に建立され、三代将軍家光の時代に浅草永住町に移転した。文化三年三月四日に類焼、また大正十二年震火災に類焼、大正一五年五月移転許可をえて月島へ移ってきた。墓地式納骨堂に十返舎一九の墓がある。(「日蓮宗明細簿」より)
御府内寺社備考による東陽院の縁起
東陽坊
開祖法輪院日正、延宝5年正月2日卒(御府内寺社備考善立寺項より)
「日蓮宗明細簿」による東陽院の縁起
武蔵國豊嶋郡浅草永住町百二番地
善立寺塔中
日蓮宗 東陽院
元和四午年起立開祖浄源院日隆履歴幷開基之姓名等不詳(「日蓮宗明細簿」より)
東陽院所蔵の文化財
- 十返舎一九墓(中央区民登録文化財)
十返舎一九墓
十返舎一九は本姓を重田といい、明和2年(1765)駿河(静岡市)に生まれた。その後、江戸に出て、日本橋の出版業者・蔦屋重三郎付の作家となり、多くの黄表紙・洒落本を書いた。なかでも、「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢神宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式をとる物語であり、続編に続編を重ね、一九の代表作となった。
天保2年(1832)に没し、浅草永住町の東陽院に葬られた。東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移された。
墓石には次の辞世が刻んである。
此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら
墓は、句の歴史や文化に関わりの深いものとして、中央区民文化財に登録されている。(中央区教育委員会)
東陽院の周辺図