天王山正光寺|北豊島三十三ヶ所
正光寺の概要
浄土宗寺院の正光寺は、衰廃していた近隣の西光寺の名跡を継ぎ、慶長7年(1602)当地に正光寺として創建しました。江戸期には梅翁庵(梅王寺)、十王堂(十王寺)を末寺に擁し、八雲神社の別当寺を勤めていました。北豊島三十三ヶ所霊場13番札所です。
山号 | 天王山 |
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院号 | 淵富院 |
寺号 | 正光寺 |
住所 | 北区岩淵町32-11 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | 墓地受付中 |
備考 | 正光寺保育園 |
正光寺の縁起
正光寺は、衰廃していた近隣の西光寺の名跡を継ぎ、慶長7年(1602)当地に正光寺として創建しました。西光寺は、延慶2年(1309)創建と伝えられています。江戸期には梅翁庵(梅王寺)、十王堂(十王寺)を末寺に擁し、八雲神社の別当寺を勤めていました。
(岩淵宿)正光寺
浄土宗芝増上寺末、天王山淵富院と号す。
本尊弥陀長2尺5寸許春日の作と云。
相伝ふ、宿内荒川辺に往昔西光寺と号せし寺あり、開基は宿民仁右衛門の先祖石渡民部少輔保親と云、延慶2年4月朔日卒し、西光院祐誉道春と追号す、開山は記主禅師良忠、中興は了誉上人なりしか、後に衰廃したるを真誉龍湛と云僧、名主嘉右衛門の祖小田切将監重好といへるものと同意して、慶長7年今の地へ移し建立して正光寺と改号す。正光は則重好の法謚なり。寛永元年11月18日死す、龍湛は元和3年10月15日化す。墓所に記主了誉龍湛の碑石、並ひ建、又昔は岩淵山と称せし由是は西光寺といひし時の山号なるへし。西光寺蹟は明和5年9月伊那備前守検地して年貢地となし当寺の持とす。
堂内に行基作の正観音を置、頼朝子育観音とも世継観音とも称す、由来詳かならず。
稲荷社、天神社(新編武蔵風土記稿より)