鴻巣勝願寺。鴻巣市本町にある浄土宗寺院

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鴻巣勝願寺。浄土宗関東十八檀林

勝願寺の概要

浄土宗寺院の勝願寺は、天照山良忠院と号します。文永年中鴻巣市登戸(現真言宗勝願寺)に記主禅師が創建したと伝えられます。いつしか真言宗の寺院となっていましたが、天正年間に僧惣誉清巌が浄土宗の名跡を残すため当地で浄土宗勝願寺として中興しました。慶長9年(1604)には徳川家康より寺領30石の御朱印状を拝領、松平秀康から結城から越前へ移封する際に、結城で使用していた御殿を拝領しています。また多くの大名家の菩提寺となっていた他、関東十八檀林の一つとして数多くの末寺を擁していました。清巌上人は当寺を隠居後、岩槻に隠居寺浄国寺を創建しています。

勝願寺
勝願寺の概要
山号 天照山
院号 良忠院
寺号 勝願寺
本尊 -
住所 鴻巣市本町8-2-31
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



勝願寺の縁起

勝願寺は、文永年中鴻巣市登戸(現真言宗勝願寺)に記主禅師が創建したと伝えられます。いつしか真言宗の寺院となっていましたが、天正年間に僧惣誉清巌が浄土宗の名跡を残すため当地で浄土宗勝願寺として中興しました。慶長9年(1604)には徳川家康より寺領30石の御朱印状を拝領、松平秀康から結城から越前へ移封する際に、結城で使用していた御殿を拝領しています。また多くの大名家の菩提寺となっていた他、関東十八檀林の一つとして数多くの末寺を擁していました。清巌上人は当寺を隠居後、岩槻に隠居寺浄国寺を創建しています。

新編武蔵風土記稿による勝願寺の縁起

浄土宗、関東十八檀林の一にして京都知恩院の末。
天照山良忠院と号す。寺領30石の御朱印は慶長年中11月7日賜ふ。本尊弥陀に安ぜり。坐像にして長2尺余、恵心の作と云。又堂中に長1尺5寸程の三尊の弥陀を安ぜり。相傳ふ、小松内大臣重盛の守本尊にて、登戸村深井氏の家にありしを中興2世円誉不残の時ここに納めしと云。
開山は記主禅師にて文永年中郡中登戸村に草創せしが、後戦争の地となり星霜百年に餘り、或は廃し或は再興せしものはかばかしからざる間に、いつしか真言宗の寺となりしを、天正中僧惣誉清巌当所へ移して中興し、再び浄土宗に復せしと云。彼登戸村の旧地には今も別に勝願寺と云真言寺残れり。
其後円誉不残と云僧其足ざるを補ひ、堂塔以下造立せしかば遂に大寺となれりと。
浄土傳燈総系譜云釋不残は武州の人にて上田氏なり。清巌に投じて剃染法を嗣ぎ、東照宮の御崇信に依て鴻巣勝願寺を再興し、中興の号を持って師清巌に譲り、己第二世となれりと。慶長六年秀康卿越前福井へ移り給ひし時、台命に依て結城の御殿を悉く当寺へ賜はれり。本堂より庫裡の方へ建続て大方丈と呼び、金の間銀の間獅子の廊下と名付つ所則賜はりし所なりと云。其内金の間の上段には東照宮の御像、銀の間には秀康卿の念持仏黒本尊と号せる弥陀の木像を安ぜり。
(新編武蔵風土記稿より)


勝願寺所蔵の文化財

  • 伊奈忠次・忠治墓(埼玉県指定文化財)
  • 福島東雄墓(埼玉県指定文化財)
  • 横田柳几墓(埼玉県指定文化財)
  • 絹本着色阿弥陀二十五菩薩来迎図(埼玉県指定文化財)
  • 後陽成天皇御宸筆(鴻巣市指定文化財)
  • 朱印状11通(鴻巣市指定文化財)
  • 康安二年六地蔵板碑(鴻巣市指定文化財)
  • 牧野家累代の墓
  • 仙石秀久の墓
  • 真田信重・信重室の墓
  • 真田小松姫の墓

牧野家累代の墓

丹後国田辺城主牧野家累代の墓
天正18年(1590)9月牧野康成は石戸領五千石を領した。
その子信成は加増により大名に列し石戸藩主となる。
のちに関宿に転じた信成嫡子親成は京都所司代を勤めたのち、寛文8年(1668)丹後国田辺城主三万五千石の譜代大名として約二百年間続き明治維新を迎えた。ここには歴代の当主夫妻が眠っている。(境内掲示より)

仙石秀久の墓

秀久は信州小諸の城主。初め羽柴筑前守秀吉の家臣で淡路国須本(洲本)城主であったが天正18年(1590)小田原征伐の武功により小諸を賜った。のちに徳川家康に仕え慶長19年(1614)出府しての帰途発病、同年5月6日当地で没した。当山にて殯し同年11月8日小諸の歓喜院に葬る遺名により当山に分骨建墓。
本廟は芳泉寺(長野県上田市)にある。(境内掲示より)

真田信重の墓・信重の室の墓

信重は真田信之(幸村の兄で信州松代藩の祖)の三男。慶安元年(1648)2月23日鴻巣で病没した。
母小松姫の縁で当山に葬る。また信重の室は鳥居左京亮の第六女、慶安2年(1649)12月9日に没した。
長野市松代町の西楽寺には夫妻の霊屋があって位牌が安置されている。(境内掲示より)

真田小松姫の墓

小松姫は本多忠勝の女で家康の養女となり真田信之(幸村の兄で信州松代藩の祖)に嫁し、元和6年(1620)2月24日没した。
生前当山中興二世の貫首円誉不残上人に深く帰依した。
そのような縁で元和7年(1621)一周忌に際し、信之の二女松姫(見樹院)が当山に分骨造塔した。
本廟は長野県上田市の芳泉寺にある。(境内掲示より)

勝願寺の周辺図


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