生田稲荷神社|江東区東砂の神社

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生田稲荷神社|旧太郎兵衛新田村の鎮守として江戸時代に創建

生田稲荷神社の概要

生田稲荷神社は、江東区東砂にある稲荷神社です。生田稲荷神社は、当地開拓の際に旧太郎兵衛新田村の鎮守として慶安年間(1648-1651)に創建したといいます。

生田稲荷神社
生田稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 江東区東砂3-17-17
備考 旧太郎兵衛新田村の鎮守



生田稲荷神社の由緒

生田稲荷神社は、当地開拓の際に旧太郎兵衛新田村の鎮守として慶安年間(1648-1651)に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による生田稲荷神社の由緒

太郎兵衛新田村
稲荷社
村の鎮守なり。生田稲荷と称す。太郎兵衛新田妙久寺持。(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による生田稲荷神社の由緒

慶安年中(1648-1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688-1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。(境内石碑より)

「江東区の民俗城東編」による生田稲荷神社の由緒

生田稲荷神社
『南葛飾郡神社要覧』によれば、慶安年間(一六四八~五二)、この地を開発の時に鎮守として祀った。元禄年間(一六八八~一七〇四)初め疫病流行の際、里人はこの社に祈り安全を得た。特に産婦の安全を守護する徳があり、伝え聞いて参りに来る者が多く、社名(生田)はこの神徳によるという。この地を開発した太郎兵衛の墓が近くにあり(東砂三-一八-一五)、妙久寺の過去帳によれば初代太郎兵衛の没年は寛文一二年八月一八日である。なお、この社は戦災を免れた。(「江東区の民俗城東編」より)


生田稲荷神社所蔵の文化財

  • 石造燈籠(昭和4年在銘)一対(江東区登録文化財)

生田稲荷神社の周辺図