天霊山妙久寺|江東区北砂
妙久寺の概要
日蓮宗寺院の妙久寺は、天霊山と号します。妙久寺は、小湊誕生寺16世日領上人(慶安元年1648年寂)が寛永7年(1630)創建したと伝えられます。
山号 | 天霊山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙久寺 |
住所 | 江東区北砂2-1-40 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙久寺の縁起
妙久寺は、小湊誕生寺16世日領上人(慶安元年1648年寂)が寛永7年(1630)創建したと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による妙久寺の縁起
妙久寺
法華宗房州長狭郡小湊誕生寺末、天霊山と号す。本尊三寶祖師を安す。開山日領、慶安元年11月19日寂す。
三十番神堂(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による妙久寺の縁起
妙久寺
『新編武蔵風土記稿』巻之二五によれば、開山日領は慶安元年(一六四八)に亡くなった。『城東区史稿』によれば、日領上人は小湊誕生寺第一六世であり、寛永七年(一六三〇)にこの寺を建立したという。八右衛門新田は寛永年間(一六二四~四四)に足立郡大門宿(現浦和市大門)の百姓源左衛門の子八右衛門が来て開拓したとされており、新田の開発と妙久寺の創始が重なっており、八右衛門と日領は何か関係があったかとも思わせる。なお、日領は不受不施派であったために奥州相馬に流され慶安元年相馬郡仏立寺で亡くなったという。(「江東区の民俗城東編」より)
妙久寺所蔵所蔵の文化財
- 木造日蓮上人坐像
- 銅造梵鐘 大出和四郎・藤原治具作
- 題目曼荼羅
- 近藤長裕墓
- 馬頭観世音供養塔 昭和3年在銘
- 法華経供養塔 享保3年在銘・享保14年在銘
- 力石
妙久寺の周辺図