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深川神明宮|江東区森下の神社、深川七福神の寿老神

深川神明宮の概要

深川神明宮は、江東区森下にある神社です。深川神明宮は、慶長年間(1596~1614)に摂津国の深川八郎右衛門ほか6人が開拓した新田に勧請したといいます。深川七福神のひとつ寿老神が祀られています。

深川神明宮
深川神明宮の概要
社号 深川神明宮
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 和合稲荷神社、寿老神
住所 江東区森下1-3-17
備考 深川七福神の寿老神、別当寺泉養寺



深川神明宮の由緒

深川神明宮は、慶長年間(1596~1614)に摂津国の深川八郎右衛門ほか6人が開拓した新田に勧請したといいます。

「江東区の民俗深川編」による深川神明宮の由緒

深川神明宮 江戸時代初期、隅田川河口、深川一帯は葦のしげる三角洲で住む人もいなかった。摂津の深川八郎右衛門が一族を率いて、このあたりを開拓し、伊勢神宮の分霊を祀ったのが、深川神明官の創建となる。徳川家康が江戸入国の時、慶長元年(一五九六)当地を巡視し、地名を尋ねたが、住む人も少なく、地名も無いと答えると、家康は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするように命じたという(「深川神明官の莱」)。
この地を開発した名主深川八郎右衛門の宅地に伊勢両皇大神宮を勧請し、泉養寺の開山秀順法印を奉仕せしめたという(『江戸名所図会』)。秀順法印は八郎右衛門の兄で、泉養寺は神明宮の南に位置していた。万治年間(一六五八~六一)に、深川氏は居宅を深川本村(猿江付近)に移し、元禄六年(一六九三)、泉養寺境内が上地となり、深川猿江に泉養寺は移転し、神明宮には留守居僧がおかれたという (『医王山無量院泉養寺』)。
深川氏は町方二七力町方並びに村方の名主役を勤めていたが、七世のとき、「組合清住町大連孫兵衛といへる者家名退転の際、其の跡式取建方に関して、組合一同不念の事あり。因りて他衆を助けむが為めに、責を一人に負い、宝暦七年(一七五七)十月七日獄に下り、十一月十一日出獄預けとなり、同三〇日病没す。此を以て家名を立てる得ずして遂に断絶せり」(『新撰東京名所図会』)という。墓は泉養寺にあり、二七力町で追善供養をし、現在も泉養寺で一一月三日に慰霊法要をしている。泉養寺は関東大震災で被害を受け、昭和二年、千葉県市川市に移転した。明治維新まで、泉養寺が別当であったが、明治以降は神職である詞宮林家が奉仕した(『深川神明宮御由来記』)。(「江東区の民俗深川編」より)


深川神明宮所蔵の文化財

  • 石造燈籠(昭和9年在銘)一対(江東区登録文化財)
  • 木造神像(三躯)(江東区登録文化財)
  • 筆塚(江東区登録文化財)
  • 明治19年修繕棟札附内陣修繕産子総代他書上板(江東区登録文化財)

深川神明宮の周辺図


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