東大島神社|大島地区東部の諸社を昭和24年合併
東大島神社の概要
東大島神社は、江東区大島にある神社です。東大島神社は、大島地区東部にあった永平稲荷神社・子安稲荷神社・小名木稲荷神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社の五社が昭和24年合併、東大島神社が創立したといいます。
社号 | 東大島神社 |
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祭神 | 天照皇大神、牛島大神、稲荷大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 大祓式(芽の輪くぐり)6月30日・12月31日 |
住所 | 江東区大島7-24-1 |
備考 | - |
東大島神社の由緒
東大島神社は、大島地区東部にあった永平稲荷神社・子安稲荷神社・小名木稲荷神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社の五社が昭和24年合併、東大島神社が創立したといいます。
「江東区の民俗城東編」による東大島神社の由緒
東大島神社
『東京都神社名鑑』によれば、東大島地区に永平稲荷神社・子安稲荷神社・小名木稲荷神社・北本所牛島神社・南本所牛島神社の五社の神社があった。これらの神社全てが昭和二〇年三月の大空襲によりこの地区一木一草もとどめぬ焼土と化し、五つの神社も一切が灰燈に帰した。そのため、五社の総代、有志が集まり五社の合併が決議され、昭和二四年一一月一五日に東大島神社が創立され、氏子による復興祭が行われた。(新編武蔵風土記稿より)
合併した小名木稲荷神社の由緒
小名木稲荷神社は、小名木村を開拓した小名木四郎兵衛が天正年間(1573-92)に創建、小名木村の鎮守だったといいます。
小名木村
稲荷社。村の鎮守なり、寶塔寺持(新編武蔵風土記稿より)
合併した子安稲荷神社の由緒
子安稲荷神社は、平方村の鎮守だったといいます。
平方村
稲荷社。村の鎮守なり。小名木村寶塔寺持
神木這松。囲8・9尺。根底より長5間程地面に横たはりて半地に埋れり。其先より折曲て直立し、高4尺余に及べり。此木昔大猷院殿御遊暦の時早く上覧に入しと云。近くは文化7年2月御鷹狩の時上覧ありて奇木なりとの仰ありしとなり。(新編武蔵風土記稿より)
東大島神社所蔵の文化財
- 石造鳥居(明治41年在銘)(江東区登録文化財)
- 石造鳥居(大正4年在銘)(江東区登録文化財)
- 石造燈籠(昭和12年在銘)一対(江東区登録文化財)
東大島神社の周辺図