稲荷山宝塔寺|塩舐め地蔵
宝塔寺の概要
真言宗智山派寺院の宝塔寺は、稲荷山小名院と号します。宝塔寺は、慶長15年(1610)法印賢意が創建したといいます。
山号 | 稲荷山 |
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院号 | 小名院 |
寺号 | 宝塔寺 |
住所 | 江東区大島8-38-32 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 塩舐め地蔵 |
宝塔寺の縁起
宝塔寺は、慶長15年(1610)法印賢意が創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による宝塔寺の縁起
(小名木村)宝塔寺
新義真言宗亀戸村普門院末稲荷山小名院ト号ス。本尊薬師ヲ安ス。(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による宝塔寺の縁起
宝塔寺
寺の由緒書(「真言宗智山派宝塔寺」)によれば、慶長一五年(一六一〇)に法印賢意により現在地に開則された。
山号は稲荷山であり、稲荷社(小名木稲荷神社大島町八-一二一)が隣地にあり、江戸期は管理していたが、戦災で焼失し、東大島地区の他の四社と合併移転して東大島神社となった。
『新編武蔵風土記稿』巻之二五によれば、本尊は薬師如来とされていたが、現在は大日如来である。『江東区の仏像』によれば、この大日如来坐像は江戸時代末から近代にかけての作であるという。(「江東区の民俗城東編」より)
宝塔寺の塩舐め地蔵
宝塔寺は真言宗で、稲荷山小名院と号します。境内に安置されている塩なめ地蔵は、もとは、小名木川沿いにあったものを昭和初期に移したものです。
江戸時代に、小名木川や行徳道を通る商人たちが、この地蔵の前で休憩し、商売繁盛を願って塩を供えたのが由来と伝えられています。また仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれていました。
宝塔寺所蔵の文化財
- 木造大日如来坐像
- 大先達加藤忠治之碑
- 丸不二講先達五十年記念碑明治28年在銘
- 塩なめ地蔵
- 六地蔵
- 六字名号供養塔寛政9年在銘
- 地蔵菩薩享保18年在銘
- 西国坂東秩父百番札所巡拝塔 並木浅右衛門奉納
塩舐め地蔵の紹介
この塩舐め地蔵は石井某によって小名木川から掘り出され宝塔寺に納められたと伝えられます。小名木川は慶長年間に開削されており、おそらく宝塔寺の開創(慶長15年)とともに境内に安置されたものでしょう。塩地蔵とよばれる地蔵尊はきわめて数少なく供えられた塩をつけると疣が取れるといわれ疣取り地蔵ともよばれます。また商売繁盛、航海安全のご利益も授かると伝えられています。(境内掲示より)
宝塔寺の周辺図