瑞亀山長寿寺|文明元年(1496)柳島に創建
長寿寺の概要
臨済宗永源寺派の長寿寺は、瑞亀山と号します。長寿寺は、川叟宗勤大和尚が文明元年(1496)円命寺と号して柳島に創建、天文19年(1550)南本所大川端へ移転、市橋下総守の先祖伊豆守(天正13年1585年寂、法名延命寺殿節翁宗竹大居士)が開基となったといいます。延宝9年(1681)本所石原町に移転、元禄4年(1691)柳島へ再転、元文6年(1741)円命寺は井伊直該の法号にちなみ瑞亀山長寿寺に改めたといいます。
山号 | 瑞亀山 |
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院号 | - |
寺号 | 長寿寺 |
住所 | 江東区亀戸3-10-2 |
宗派 | 臨済宗永源寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場78番札所 |
長寿寺の縁起
長寿寺は、川叟宗勤大和尚が文明元年(1496)円命寺と号して柳島に創建、天文19年(1550)南本所大川端へ移転、市橋下総守の先祖伊豆守(天正13年1585年寂、法名延命寺殿節翁宗竹大居士)が開基となったといいます。延宝9年(1681)本所石原町に移転、元禄4年(1691)柳島へ再転、元文6年(1741)円命寺は井伊直該の法号にちなみ瑞亀山長寿寺に改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による長寿寺の縁起
長寿寺
禅宗曹洞派、近江国愛知郡高野村永源寺末、瑞亀山と号す。本尊聖徳太子自作の立像、長1尺5寸許、当寺は市橋下総守の先祖伊豆守の開基にして、則同人の位牌あり。延命寺殿節翁宗竹大居士、天正13年3月13日と記す。中興開山円證、安永3年10月26日寂す。
薬師堂、薬師は行基の作と云、立像長1尺許。
八幡社。(新編武蔵風土記稿より)
「江東区の民俗城東編」による長寿寺の縁起
『瑞亀山長寿寺誌』によれば、もとは柳島円命寺といい、文明元年(一四六九)川叟宗勤大和尚により下総国葛飾郡柳島の地に開則された。天文一九年(一五五〇)、円命寺は南本所大川端に移転した。天正一三年(一五八五)に円命寺の中興にあたる市橋壱岐守長利が没した。市橋長利は京都の大徳寺に葬られた。元和元年(一六一五)諸宗諸本山諸法度が定められ、円命寺は大本山近江永源寺の直末寺となり、江戸触頭に任ぜられた。
延宝九年(一六八一)南本所川端の地が収公され、本所石原町に移転した。元禄四年(一六九一)また収公され、柳島の地に戻った。享保二年(一七一七)本山永源寺に彦根藩主井伊直該が葬られ、元文六年(一七四一)円命寺は井伊直該の法号にちなみ瑞亀山長寿寺に改められた。宝暦八年(一七五八)白木屋五代大村彦太郎が長寿寺で没したと伝えられ、これを機会に大村家歴代の位牌が長寿寺に安置された。(「江東区の民俗城東編」より)
長寿寺所蔵の文化財
- 木造聖観音菩薩坐像(江東区登録文化財)
- 厨子入木造聖観音菩薩坐像(江東区登録文化財)
- 厨子入木造地蔵三尊像(江東区登録文化財)
- 銅鐘大正2年在銘(江東区登録文化財)
長寿寺の周辺図