正覚院|尼崎城主櫻井家が開基
正覚院の概要
浄土宗寺院の正覚院は、霊巌寺開山の霊巌上人が開山、尼崎城主櫻井家が開基となり、霊源寺の塔頭寺院として寛永6年(1629)に創建、明暦の大火後、霊巌寺と共に当地へ移転したといいます。関東大震災後、開善院、光明院を合併しています。
山号 | - |
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院号 | 正覚院 |
寺号 | - |
住所 | 江東区三好1-7-7 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
※御朱印画像はいけみずさんよりの寄贈
正覚院の縁起
正覚院は、霊巌寺開山の霊巌上人が開山、尼崎城主櫻井家が開基となり、霊源寺の塔頭寺院として寛永6年(1629)に創建、明暦の大火後、霊巌寺と共に当地へ移転したといいます。関東大震災後、開善院、光明院を合併しています。
「江東区の民俗深川編」による正覚院の縁起
正覚院
寛永六年(1629)、霊巌寺塔頭として霊巌島に創建された。開山は霊巌上人、開基は尼崎の城主桜井家である。明暦の大火(1658)で焼失後、霊巌寺とともに現在地に移転してくる。関東大震災後の区画整理で周囲にあった開善院・光明院・正覚院が合併して現在の正覚院が成立した。昭和初期、冬木弁天あたりに悪さをする白いきつねが出没し、捕らえられ、この寺に白狐塚をつくり、近所の人も参加して大祭をした。大祭は戦争でとぎれてしまったという(「寺社めぐり26」)。(江東区の民俗深川編より)
正覚院所蔵の文化財
- 石造燈籠 享保10年在銘(江東区有形文化財)
- 石造燈籠 明和3年在銘(江東区有形文化財)
- 木造伝閻魔倚像(江東区有形文化財)
- 木造菩薩立像(江東区有形文化財)
- 木造阿弥陀如来立像(江東区有形文化財)
- 厨子入木造薬師如来立像(江東区有形文化財)
- 松平忠敏墓(江東区有形文化財)
- 水盤 小倉藩宮本源兵衛興根奉納(江東区有形文化財)
正覚院の周辺図