永代寺|江東区富岡にある高野山真言宗寺院

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大栄山永代寺|廃寺となった永代寺の名跡を継いだ寺院

永代寺の概要

高野山真言宗寺院の永代寺は、大栄山金剛神院と号します。永代寺は寛永元年(1624)長盛の開山により永代島に創建、江戸時代には富岡八幡宮の別当寺、江戸六地蔵の一つとして栄えましたが、明治初年の神仏分離により廃寺となりました。現在の永代寺は、明治29年に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたといいます。御府内八十八ヶ所霊場68番札所です。

永代寺
永代寺の概要
山号 大栄山
院号 金剛神院
寺号 永代寺
住所 江東区富岡1-15-1
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場68番札所



永代寺の縁起

永代寺は寛永元年(1624)長盛の開山により永代島に創建、江戸時代には富岡八幡宮の別当寺、江戸六地蔵の一つとして栄えましたが、明治初年の神仏分離により廃寺となりました。現在の永代寺は、明治29年に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたといいます

永代寺の縁起

永代寺
寛永四年(1627)、富岡八幡宮別当として長盛上人により永代寺は永代島に創建された。当時の永代島は隅田川河口にあった六万五〇八坪の砂州で、その内、二万二一九三坪が寺社地であった。成田不動尊などの出開帳が多くあり、江戸六地蔵の最後の一体が深川地蔵坊正元の勧進により永代寺に造立された(明治元年に壊される)。明治元年(1868)の神仏分離令を契機にすすめられた廃仏毀釈により、永代寺は廃寺となり、明治二九年、永代寺塔頭であった吉祥院が永代寺の名称を継ぎ、現在にいたるという(「高野山真言宗大栄山永代寺縁起」)。
富岡八幡宮の別当寺永代寺は御成門にあり、大栄山金剛神院と号し、古義真言宗で、御室仁和寺末。開山は長盛法印で、寛永一三年(1636)に亡くなる。中興開山周光阿閣梨が慶安五年(1652)の夏、弘法大師夢告を受け、「名にしおわん法のわか家を、人の心のうるほはずとも」との夢告を受け、高野山両門主碩学そのほか東国の納僧が永代島に集まり、一夏九旬の間法談があり、高祖大師の影堂を立て、真言三密の秘蹟を講じ、元禄一二年 (1699)関東五ヵ寺同等の格をたまわり、正徳五年(1715)有章院殿(家継)、享保一二年(1727)有徳院殿(吉宗)が永代寺を訪れたという(「葛西志」)。
永代寺には本坊以外に地中に一一院(功徳院・多聞院・般若院・吉祥院・明王院・長寿院・愛染院・東光院・海岸院・大勝院・支王院)あったという。永代寺は讃岐国象頭山金光院より附弟を受けていたが、明治維新となり、復飾すべと、第一六代周徹法印は別当永代寺を改め、富岡家となり、神主として富岡八幡宮に奉仕することになる。
吉祥院の住僧覚阿坊は再建工事を落成し、あまり年月が経ていないので、取り壊しに忍びがたく永代寺法類の湯島円満寺の附属となし、従来般若院付きの大師堂も吉祥院付きとし、本坊代々の墓守と定め、存置することを願い許可され、円満寺附属となる。明治二九年、歴史ある名称を残すため、吉祥院を改めて永代寺となり、円満寺末を離れ、仁和寺直末となったという。吉祥院は元禄五年(1692)の創立、開基は宥範であった(「新撰東京名所図会」)。(江東区の民俗深川編より)


永代寺所蔵の文化財

  • 絹本着色地蔵菩薩半跏像(江東区指定文化財)
  • 絹本着色宝冠阿弥陀如来坐像(江東区登録文化財)
  • 木造弘法大師坐像(江東区登録文化財)
  • 銅造釣燈籠元禄11年在銘(江東区登録文化財)
  • 十九執金剛秘釋私記永禄元年専宗筆(江東区登録文化財)
  • 永代寺歴代住持墓(江東区登録文化財)
  • 永代寺跡(江東区登録文化財)
  • 外置香炉安政5年在銘(江東区登録文化財)

永代寺の周辺図