哲学堂公園|東洋大学創始者井上円了が思想を意匠化
哲学堂公園の概要
哲学堂公園は、中野区松が丘にある名所旧跡です。哲学堂公園は、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了が、一般人に対する「精神修養的公園」として私費を投じて整備した哲学堂を、昭和21年に東京都が公園として開園したものです。井上円了は、哲學館が東洋大学として認可を受けたのを記念して、兼ねて買い求めていた和田義盛の遺跡和田山の地に四聖堂(孔子・釋迦・ソクラテス・カント)を明治37年に建立、大学を辞して、精神修養場的公園の開園を計画して私財を投じ、六賢台(聖徳太子、菅公、龍樹大士、加毘羅仙を崇む)・神儒佛の碩学を奉崇せる三学亭(平田篤胤、林羅山、釋凝然大徳を崇む)等を建立しました。妙正寺川沿いの低地部は左右に分けて、唯物論と唯心論を現す物字園・心字園を設け、円了の思想を意匠化した公園です。また、妙正寺川対岸の南側には、哲学の庭があります。哲学の庭は、ハンガリー出身で日本に帰化した彫刻家故ワグナー・ナンドール氏の作品で、日本ハンガリー外交関係開設140周年・国交回復50周年にあたる平成21年に、記念事業の一環として中野区に寄贈された作品が展示されています。
名称 | 哲学堂公園 |
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みどころ | 国登録文化財 |
入場時間 | 08:00~17:00 |
入場料 | 無料 |
住所 | 中野区松が丘1-34-28 |
備考 |
- 1.常識門を潜る
- 2.髑髏庵で休息
- 3.四聖堂
- 4.六賢台
- 5.筆塚
- 6.経験坂を下り唯物園
- 9.三学亭
- 哲学堂公園正面入口
- 哲学堂哲理門
- 哲学堂理想橋
- 哲学堂遠景
- 哲学堂絶對城(図書館)
- 哲学堂宇宙館
- 哲学堂三祖苑
- 哲学の庭
- 哲学堂梅林
哲学堂公園
哲学堂公園は、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了が、一般人に対する「精神修養的公園」として私費を投じて整備した哲学堂を、昭和21年に東京都が公園として開園したものです。井上円了は、哲學館が東洋大学として認可を受けたのを記念して、兼ねて買い求めていた和田義盛の遺跡和田山の地に四聖堂(孔子・釋迦・ソクラテス・カント)を明治37年に建立、大学を辞して、精神修養場的公園の開園を計画して私財を投じ、六賢台(聖徳太子、菅公、龍樹大士、加毘羅仙を崇む)・神儒佛の碩学を奉崇せる三学亭(平田篤胤、林羅山、釋凝然大徳を崇む)等を建立しました。妙正寺川沿いの低地部は左右に分けて、唯物論と唯心論を現す物字園・心字園を設け、円了の思想を意匠化した公園です。また、妙正寺川対岸の南側には、哲学の庭があります。哲学の庭は、ハンガリー出身で日本に帰化した彫刻家故ワグナー・ナンドール氏の作品で、日本ハンガリー外交関係開設140周年・国交回復50周年にあたる平成21年に、記念事業の一環として中野区に寄贈された作品が展示されています。
東京都教育委員会掲示による哲学堂公園について
東京都指定名勝
哲学堂公園
哲学堂公園は、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了が、文部省より大学公称の許可を得たのを記念し四聖堂を建立(明治三七年)したことに始まります。その後、自らの退隠所及び一般人に対する「精神修養的公園」として私費を投じて整備しました。
台地部分の広い範囲は「時空岡」と称する中心広場とし、四聖堂などの主要施設を設けています。南側低地部に「唯物園」と「唯心庭」を配し、道筋には「経験坂」や「二元街」などの思考状況を示す場所を設定しています。舌状台地先端の立地と崖、川や泉の自然地形を利用し、哲学的空間・概念を巧に配した特異な公園です。
四聖堂や六賢台・移卯館などの建物は、井上円了の哲学的思想と奇抜な意匠により、哲学堂公園の代表的な建造物となっています。
井上円了の死後は財団による管理を経て、昭和一九年(一九四四)に東京都へ寄付されました。昭和二一年(一九四六)に「哲学堂公園」として開園、その後中野区へ移管され、現在の「中野区立哲学堂公園」となりました。(東京都教育委員会掲示より)
中野区教育委員会掲示による哲学堂公園について
哲学堂(東京都指定名勝)
哲学堂は井上円了(一八五八~一九一九)が、その独特な哲学思想をもとに、全財産を投じてつくった社会教育のための公園です。
円了は「諸学の基礎は哲学にあり」とし哲学堂を開きました。それは、様々な理由で教育を受けられない「余資なく、優暇なき者」老若男女誰でもが学べる場、すなわち「精神修養的公園」と考えました。
ここで目指したのは、多様な価値観を理解し、先入観・偏見にとらわれない、論理的・体系的に深く考える人間の養成でした。
その方法とは「問う」ことであり「真理の追究」だったのです。そして、このような素養に満ちた人々による、社会の実現が円了の願いでした。
哲学堂は、現在にも通じる円了の思想を物語る歴史文化遺産です。(中野区教育委員会掲示より)
「東京府豊多摩郡誌」による哲学堂公園について
哲學堂
野方村大字松が丘の、和田義盛の遺跡和田山の地を卜して、文學博士井上圓了が經營中の、精神修養的公園及び哲學堂の建築は、大正四年十月落成の域に達せり。同所は最初哲學館の移轉地として購入したるものなるが、同館が東洋大學の認可を受くるに及びて、紀念として孔子釋迦ソクラテス、カントを奉崇せる四聖堂を此處に建立したり。其の後大學の移轉は中止となり、次で博士は病の爲め私財十餘萬圓を大學へ寄附して退隠すると共に、此の地に理想的庭園を開き、青年學生等の精神修養場たらしめんことを計畫し、全國を周遊して講演に揮毫に得たるところの報酬を投じて、更に東洋三國の賢哲を奉崇せる六賢臺(聖徳太子、菅公、龍樹大士、加毘羅仙を崇む)神儒佛の碩学を奉崇せる三學亭(平田篤胤、林羅山、釋凝然大徳を崇む)を創建し、之等を總稱して哲學堂と名稱す。設計は最も意を用ひ各部の名稱は悉く哲學に因める語を應用せり。庭園は丘上と丘下に別る。丘下に左右兩翼ありて右翼に物字園を、左翼に心字園を設く、之は唯物論と唯心論とを表示したるものにして、唯心庭には意識驛直覺徑其の他十二の名所あり、巡覧するには常識門を潜り、髑髏庵にて休憩し、四聖堂より六賢臺へ登り、右折して筆塚を過ぎ、經験坂を降つて唯物園に逍遥し、水流に沿ふて唯心庭へ至り、論理域を經て四聖堂へ返り、最終に三學亭へ登るを順とす、其の他園内に圖書館博物館あり、一般公衆の觀覧を許す。(「東京府豊多摩郡誌」より)
哲学堂公園内の順路
「東京府豊多摩郡誌」では、哲学堂公園内の巡路を下記としています。
- 常識門
- 髑髏庵で休息
- 四聖堂
- 六賢台
- 筆塚
- 経験坂を下り唯物園
- 水流に沿って唯心庭
- 論理域を経て四聖堂
- 三学亭
哲学堂公園の周辺図
参考資料
- 「東京府豊多摩郡誌」
関連ページ
- 蓮華寺(中野区江古田)
- 井上円了の墓