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蓮華寺|中野区江古田にある日蓮宗寺院

蓮華寺の概要

日蓮宗の蓮華寺は、星光山と号します。創建年代は不詳ですが、室町時代(南北朝時代)に日山上人が橘樹郡星川村(横浜市保土ヶ谷区星川)に開山したと伝えられ、その後、日匡上人(寛保元年1741年寂)が当地へ移転し、当寺を中興したといいます。境内には哲学堂を創った井上円了の墓所があります(井桁の上に円形の石を置いた墓石です)哲学堂公園の中野通り向かい、目白通り沿いにある大きな寺院です。

蓮華寺
蓮華寺の概要
山号 星光山
院号 -
寺号 蓮華寺
住所 中野区江古田1-6-4
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮華寺の縁起

蓮華寺の創建年代は不詳ですが、日山上人が橘樹郡星川村(横浜市保土ヶ谷区星川)に開山したと伝えられます。日山上人は、池上本門寺第四世で、川越町朝田山行傳寺を永和年中(1375-1379)に創建していることから、室町時代(南北朝時代)に当寺も創建されたと考えられます。その後、日匡上人(寛保元年1741年寂)が当地へ移転し、当寺を中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による蓮華寺の縁起

蓮華寺
年貢地、境内3畝。東の方豊島郡葛が谷村境にあり。日光山と号す。日蓮宗にて池上本門寺末なり。当寺もと橘樹郡星川村にありしを、70年ほど以前此地へ移せりと。開山を日山と云。示寂の年月詳ならざれど、第11世日道は貞享2年7月12日寂すといへば古き寺なるべし。中興を日匡と号す、寛保元年12月某に示寂す。開山より第19世にあたれり。過去帳を閲るにその裏に当寺開基日山檀越大籠院起立願主深野氏とあり。また客殿の願主浄心俗称義右衛門と見えたり。思ふに浄心信仰のあまり堂宇建立の願を立しが、かく檀家も乏しくては後破壊に及ばんとき、繕冶のことおぼつかなきことにおもひ此地へ引移、堂宇を建立せしかば、村の旧家深野伊右衛門若干の地を寄附せしなるべし。此伊右衛門は当村名主孫右衛門が本家なり。又入間郡川越町朝田山行傳寺は永和年中の草創にして、開山日山は池上本門寺第四世の僧と云。則当寺開山と同人なるか、深見氏のこと後の旧家の條に出せり。合せみるべし。客殿は3間に3間半南向きにて8寸なるを安せり。(新編武蔵風土記稿より)


いいお墓

蓮華寺所蔵の文化財

  • 井上円了の墓所(中野区登録文化財)

井上円了の墓所

ここは、哲学堂を創った井上円了の墓所です。
円了は、安政五年(一八五八)現在の新潟県三島郡越路町に生まれ、哲学者であり、また教育者として、明治の中頃から大正にかけて多彩な活動をくりひろげました。
とくに、西洋哲学による仏教の新しい解釈にもとづいた既成仏教の革新、キリスト教の批判や迷信打破の運動は、わが国の文化史上特筆されるものともいわれています。
また、哲学館(後の東洋大学)と哲学堂を創立したのは、円了が提唱する「護国愛理」をもとに学校教育と社会教育の振興をはかるためでした。こうして、国民道徳の普及と向上「考える人」の養成をめざし国家への報恩を願ったといわれています。
円了は大正八年(一九一九)巡回講演の旅行中、中国大連市(現旅大市)で病死し、東洋大学関係者の縁故で当寺に葬られました。井桁の上に円形の石をおいて井上円了の名前を表現した墓石のデザインは円了の生前の発意といわれています。(中野区教育委員会掲示より)

蓮華寺の周辺図


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