百観音明治寺|明治45年明治天皇の病気平癒を祈願し創建、東京三十三観音
百観音明治寺の概要
真言宗東寺派寺院の明治寺は、新浮侘落山世尊院と号します。明治寺は明治45年7月明治天皇の病気平癒を祈願して草野栄照尼が現在地に観音石像一体を造立したのが始まりだといいます。東京三十三観音霊場20番札所です。
山号 | 新浮侘落山 |
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院号 | 世尊院 |
寺号 | 明治寺 |
住所 | 中野区沼袋2-28-20 |
宗派 | 真言宗東寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 東京三十三観音霊場20番札所 |
百観音明治寺の縁起
明治寺は明治45年7月明治天皇の病気平癒を祈願して草野栄照尼が現在地に観音石像一体を造立したのが始まりだといいます。
「中野區史」による百観音明治寺の縁起
明治寺
沼袋町二〇四。本尊聖観世音菩薩。新浮陀山世尊院明治寺と號する。開基は慈雲草野榮照尼、開山は松田密信(現住職)である。本寺は明治四十五年七月、畏くも明治天皇の御不例にわたらせらるるや、その御平癒を御祈念申上げん爲めに目白雲照寺松田密信の[從かんむりに心]慂に基づいて、草野榮照尼が發願開基したのであつた。寺號も之に因由する
西國靈場三十三箇所の観音大慈薩埵の尊容を寫して石に刻し、續いて板東三十三箇所、秩父三十四箇所と合せて百観音の靈像を奉安し、供養を懈らぬ。この故に百観音の名を以て知られてゐる。
本堂は明治四十五年七月に創建されたが、つづいて客殿・庫裡・大玄關・鍾樓と順次整備した。昭和十三年九月二十日、滋賀縣大津市石山寺の塔頭で、花山天皇の御孫昭登親王の息良深僧都(石山僧都と呼ばれる。)の止住地たる石山寺世尊院の寺跡移轉を許可され、同年十一月十七日、明治寺と改稱することを許可され、ここに山號・院號・寺號の公稱を認められるに至つた。
境内は約二千坪。一隅に草野榮照尼の墓があり、「武蔵野にさらすかばねはいしすゑそ御國をまもる日本魂」の歌が刻されてゐる。榮照尼は昭和十年一月十七日行年七十二歳を以て寂した。(「中野區史」より)
百観音明治寺の周辺図