金臺山源通寺。小笠原甚五衛門長隆開基、明治41年当地へ移転
源通寺の概要
真宗大谷派寺院の源通寺は、金臺山と号します。源通寺は、小笠原甚五衛門長隆(裕尊)が開基となり、慶長15年(1615)神田に創建、明暦の大火により浅草へ移転したといいます。明治41年当地へ移転したといいます。
山号 | 金臺山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 源通寺 |
住所 | 中野区上高田1-2-7 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
源通寺の縁起
源通寺は、小笠原甚五衛門長隆(裕尊)が開基となり、慶長15年(1615)神田に創建、明暦の大火により浅草へ移転したといいます。明治41年当地へ移転したといいます。
浄土真宗東派明細による源通寺の縁起
武蔵國豊嶋郡東京浅草北清島町八十一番地
真宗 源通寺
開基祐尊ノ俗称ハ安藝國沼田郡廣島住人小笠原甚五衛門長隆ト称ス然ルに満照寺法西ノ誘導ニ依テ真宗ニ帰依シ慶長十五庚戌年閏五月武蔵國豊嶋郡江戸ノ庄峡田領湯嶋南ヶ岡ノ下ニテ花笠村(今ノ神田萬世橋外旅篭町二丁目ニテ旧称加賀原ト称スル地ナリ)本願寺別院同所エ始テ源通寺ヲ起立ス明暦三丁酉年正月十八日大火ニテ焼失ス同年四月廣澤新田(今ノ浅草松清町四番地従前ノ新寺町通)エ替地拝領文化三丙寅年三月四日浅草別院ト同時ニ焼失ス同七庚午年十一月今ノ地(初メ板倉内膳正邸地ナリ)エ移轉ニ及候猶寺格ノ義ハ當寺第九世祐栄ノ代文化十癸酉年八月餘之間地ニ相成候也(浄土真宗東派明細より)
源通寺所蔵の文化財
- 河竹黙阿弥の墓所
河竹黙阿弥の墓所
江戸時代末から明治の中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本性吉村、二代河竹新七、(一八一六〜一八九三))の墓所が、当寺の墓地入口にあります。
黙阿弥は、鼠小僧次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三」や「白波五人男」などの盗賊を主人公とした生世話狂言で、世相を写実的に描く近代演劇への道をひらきました。
しかし、幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪を奨励したため、黙阿弥は作風の転換を強いられ、その後、幕末・維新期の激動する社会のなかで、江戸時代後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真に江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥に評される仕事をなしとげました。
黙阿弥の作品は、四代市川小団次をはじめとする歴代の名優によって演じられました。
明治四十一年、当寺が移転したとき黙阿弥の墓も浅草から移されました。(中野区教育委員会掲示より)
源通寺の周辺図
参考資料
- 浄土真宗東派明細
- 公式ページ:源通寺 真宗大谷派