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宝泉寺。中野区上高田にある曹洞宗寺院

宝泉寺の概要

曹洞宗寺院の宝泉寺は、正覺山と号します。宝泉寺は、駒込吉祥寺三世興山圭隆大和尚が開山となり永禄5年(1562)江戸城清水御門近くに創建、田安門外への移転を経て牛込横寺町へ移転、明治41年(1909)当地へ移転したといいます。

宝泉寺
宝泉寺の概要
山号 正覺山
院号 -
寺号 宝泉寺
住所 中野区上高田4-13-1
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宝泉寺の縁起

宝泉寺は、駒込吉祥寺三世興山圭隆大和尚が開山となり永禄5年(1562)江戸城清水御門近くに創建、田安門外への移転を経て牛込横寺町へ移転、明治41年(1909)当地へ移転したといいます。

「牛込區史」による宝泉寺の縁起

正覺山寳泉寺 駒込吉祥寺
永禄五年清水門内に起立、慶長年中田安へ移轉元和二年横寺町に移る。開山吉祥寺三世奥山圭隆大和尚、永禄五年三月住職、同十一年八月遷化。中興龍尊和尚、舊境内拝領地二千二百四坪五分。(「牛込區史」より)


宝泉寺所蔵の文化財

  • 板倉内膳正重昌の墓所

板倉内膳正重昌の墓所

この宝泉寺には、板倉内膳正重昌の墓所があります。高さ約三メートルの五輪塔の中央には剱峯源光大居士、その右に寛永十五戊寅歳(1638)、左に正月朔日と刻まれています。これは重昌が「島原の乱」で戦死した日にあたり、金石史料としても貴重なものです。明治四十一年、牛込横寺町(新宿区)から移転してきました。
重昌は、京都所司代板倉重勝の第三子で、のち三河(愛知県)の深溝城主となりました。若くして徳川家康の近習となり、方広寺の事件では使者として「国家安康」・「君臣豊楽」の鐘銘は家康批判であると豊臣方に強硬にせまり、これが発端となって豊臣氏の滅亡へと進んでいきました。
寛永十四年(1637)島原の乱が起ると、重昌は幕府の命を受けて九州諸大名を督励し、万徒の鎮定につとめました。しかし、強い抵抗にあって果さず、幕府は再び老中松平信綱を派遣して指揮にあたらせることにしたため、責任を痛感した重昌は、翌年元旦「原城」を総攻撃し、自らも戦死をとげました。(中野区教育委員会掲示より)

宝泉寺の周辺図


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