中新井稲荷神社。上尾市中新井の神社
中新井稲荷神社の概要
中新井稲荷神社は、上尾市中新井にある神社です。中新井稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、当社境内社の牛頭天王社と共に、西光寺の境内社として祀られていたということから、西光寺が当地で中興された時期とほぼ同時期に祀られたのではないかといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 牛頭天王 |
祭日 | - |
住所 | 上尾市中新井65 |
備考 | - |
中新井稲荷神社の由緒
中新井稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、当社境内社の牛頭天王社と共に、西光寺の境内社として祀られていたということから、西光寺が当地で中興された時期とほぼ同時期に祀られたのではないかといいます。
新編武蔵風土記稿による中新井稲荷神社の由緒
(中新井村)
天神社二宇
共に村の鎮守なり
稲荷社二宇
以上四社西光寺持
西光寺
天台宗、側海斗村慈寶院末、慈榮山光明院と號す、本尊三尊の彌陀を安ず、當寺は元小名寺家山にありしを、秀惠と云僧今の所へ引移して堂宇を再興せしゆへ、これを中興開山と稱すといふ。
観音堂。子安観音を安ず。
○稲荷社
○天王社
愛宕社
鐘楼。鐘は天明年中の鑄造なり。(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による中新井稲荷神社の由緒
「新編武蔵風土記稿」に西光寺持として稲荷社が記載されているので、それ以前からのものであることは明白だが、詳細は不明である。(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による中新井稲荷神社の由緒
稲荷神社<上尾市中新井六五(中新井字会ノ谷)>
『風土記稿』によると、神仏分離以前の当社は西光寺の境内社として祀られていた。西光寺は天台宗の寺院で、もと西方の寺家山の地にあったが、秀恵という僧が現在地に移して中興したと伝えられる。当社の創建は西光寺の中興以後のことと思われるが、明らかでない。ちなみに、同じ西光寺の境内社であった「牛頭天王」の石祠には「寛政己酉年(一七八九)六月吉祥日」「中新井村氏子中」と刻まれている。
元来、当社の本殿は一二〇センチメートル四方に丸太を柱として掘立て、茅で屋根を葺いた形の建物で、氏子は毎年「屋根改い」といってこの屋根の茅を葺き改めるのを例としてきた。太平洋戦争後、社の建物の傷みが激しくなってきたため、小学校で奉安殿として使われていた建物を譲り受け、これを境内に移築して神体を収めた。ところが、間もなく村内に悪い病気が流行し、近くの納屋では夜な夜な狐の鳴き声がするようになった。氏子一同は、これを「稲荷様の祟り」として、神体を元の社殿に戻したところ、病気も治まり、狐の鳴き声もしなくなった。
その後、小学校から移築した社殿は拝殿とし、本殿は従来通り毎年茅を集めて「屋根改い」を行ってきたが、近年は茅材の収集困難に加え、屋根替えの後継者不足が深刻な状況になってきた。そこで、臨時総会を開いて氏子一同で協議した結果、従来の本殿を廃し、平成三年二月に切妻造平入り瓦葺きの新しい本殿を建立した。(「埼玉の神社」より)
中新井稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)