地頭方氷川神社。上尾市地頭方の神社

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地頭方氷川神社。上尾市地頭方の神社

地頭方氷川神社の概要

地頭方氷川神社は、上尾市地頭方にある神社です。地頭方氷川神社の創建年代等は不詳ながら、中世の古文書によると当地は大谷郷地頭職に関わるといい、古くより祀られていたのではないかといい、向山・川村・地頭方村の鎮守だったといいます。江戸期には地頭方村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格したといいます。

地頭方氷川神社
地頭方氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 天照大神、大雷神
境内社 稲荷社、疱瘡社、(境外社)天神社、八雲社
祭日 例祭10月19日
住所 上尾市地頭方113
備考 -



地頭方氷川神社の由緒

地頭方氷川神社の創建年代等は不詳ながら、中世の古文書によると当地は大谷郷地頭職に関わるといい、古くより祀られていたのではないかといい、向山・川村・地頭方村の鎮守だったといいます。江戸期には地頭方村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による地頭方氷川神社の由緒

(地頭方村)
氷川社
村内の鎮守なり、正圓寺持、下二社も同じ

天神社

第六天社

神明社
村民の持。

雷電社
持同じ

正圓寺
新義真言宗、栢座村日乗院末、蓮華山と號す、本尊阿彌陀開山秀賢寛正三年寂せり。
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による地頭方氷川神社の由緒

郡村誌に「氷川社 村社 社地縦四十四間八分横三十間面積六百六重三坪村の南方にあり」・・・と誌す。往古は神明社、雷電社があったがいつの間か合祀したと伝える。(「上尾の神社・寺院」より)

「埼玉の神社」による地頭方氷川神社の由緒

氷川神社<上尾市地頭方一一三(地頭方字中谷)>
南北朝-室町期ごろ市域には大谷郷が成立していた。地頭方の地名は、建武元年(一三三四)四月十日の足利直義下知状(宇都宮文書)に見える大谷郷地頭職にかかわると考えられ、中世村落の系譜を引く村であることが推測される。
当社の創建の年代は明らかではないが『風土記稿』地頭方村の項に「氷川社 村の鎮守なり 正円寺持」とあり、当村の鎮守として祀られてきた社であることがわかる。ここに見える別当の正円寺は、当社の西方一〇〇メートルほどの所にあった蓮華山と号する真言宗寺院で、開山秀賢は、寛正三年(一四六二)に没したという。
神仏分離後、正円寺は廃寺となり、当社は明治六年四月に村社に列した。また、年代は不詳であるが、地内にあった神明社・雷電社を合祀したと伝える。なお、現在正円寺の跡地には地頭方公民館がある。
当社の参道を進んで社前に至ると、まず目につくのが、見上げるばかりに堂々とした体格を誇る狛犬である。これは、江戸末期から明治期にかけて氏子の島田鶴吉が運送業で財を成したことから、神恩に感謝して同氏により明治二十八年に奉納されたものである。また、一〇〇メートルほどの参道は、昭和二十五年に時の総代島田道教から寄付された土地を氏子総出で整備したものである。島田道教は、先の島田鶴吉の子に当たり、島田家の当社に寄せる崇敬の厚さをうかがわせる。(「埼玉の神社」より)


地頭方氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)