向山神明神社。上尾市向山の神社
向山神明神社の概要
向山神明神社は、上尾市向山にある神社です。向山神明神社は、地頭の暴政に困窮していた村民が神明の加護を祈願したところ、元禄11年(1698)に地頭の陣屋が召し上げとなったことから、下賜された旧陣屋御用地の一角に神明社を祀り、宝永5年(1708)には雷鳴と共に真鍮の幣束が当地へ飛来、これを神体としたといいます。江戸期には向山村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格しています。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 大日孁貴尊 |
相殿 | - |
境内社 | 春日明神、稲荷神明、八幡社、三峯山、榛名社 |
祭日 | 例祭10月15日 |
住所 | 上尾市向山3-2-6 |
備考 | - |
向山神明神社の由緒
向山神明神社は、地頭の暴政に困窮していた村民が神明の加護を祈願したところ、元禄11年(1698)に地頭の陣屋が召し上げとなったことから、下賜された旧陣屋御用地の一角に神明社を祀り、宝永5年(1708)には雷鳴と共に真鍮の幣束が当地へ飛来、これを神体としたといいます。江戸期には向山村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格しています。
新編武蔵風土記稿による向山神明神社の由緒
(向山村)
神明社
村の鎮守なり、金蔵院持。(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による向山神明神社の由緒
宝永5年(1708)4月吉日陣屋跡の山に真鋳の幣あり、その銘に上総国市原郡平久町大神宮と彫刻あり(中略)これを現地に祭ったと伝える。(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による向山神明神社の由緒
神明神社<上尾市向山二一六(向山字本山)>
当社は、旧中山道から西に約一キロメートル離れて鎮座している。
創建については、当村の庄屋の書き記した草稿を基に、正徳元年(一七一一)に竜谷山知足院(桶川市下日出谷)の密乗沙門盛典が著した「向山神明御縁起」に詳述されている。それによると、元禄八年(一六九五)地頭の暴政に困窮していた村民は、地内の祈願所の金蔵院から伊勢神宮を遥拝し、神明の加護を祈願したところ、元禄十一年(一六九八)に地頭の陣屋は召し上げとなった。村民は、神恩に感謝し、下賜された旧陣屋御用地の一角に社を建立し、金蔵院に申し入れて、天照大神を勧請した。その後、宝永五年(一七〇八)四月六日の夕刻に雷鳴と共に真鍮の幣束が当地へ飛来し、当社の前の畑に突き刺さった。幣束には「貞享三年丙寅(一六八六)廻啓蟄吉祥日江戸堀江町三丁目河村多兵衛」の銘があり、その銘に従って尋ねたところ、上総国市原郡牛久村(現千葉県市原市牛久)の神明社に奉納されたもので、その後、神託があり、当社に飛来したものであることがわかったため、河村多兵衛により奉納された白木の厨子に入れ、本殿に納められた。この幣束は現在も本殿内に納められ、しんたいとして崇められている。
別当の金蔵院は、神仏分離後、廃寺となり、当社は明治六年四月に村社に列した。(「埼玉の神社」より)
向山神明神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)