戸崎氷川神社。上尾市戸崎の神社
戸崎氷川神社の概要
戸崎氷川神社は、上尾市戸崎にある神社です。戸崎氷川神社は、松山城主長沢良房の弟長沢信勝が長元元年(1028)に当地に帰農、富士浅間社と氷川社を長元6年(1033)に勧請したといいます。当地の発展に伴い、戸崎村・中新井村・堤崎村の鎮守として祀られ、明治6年には村社に列格していました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 荒脛社、諏訪社、厳島社 |
祭日 | - |
住所 | 上尾市戸崎983 |
備考 | - |
戸崎氷川神社の由緒
戸崎氷川神社は、松山城主長沢良房の弟長沢信勝が長元元年(1028)に当地に帰農、富士浅間社と氷川社を長元6年(1033)に勧請したといいます。当地の発展に伴い、戸崎村・中新井村・堤崎村の鎮守として祀られ、明治6年には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による戸崎氷川神社の由緒
(戸崎村)氷川社
中新井・堤崎及び當村の鎮守なり、村民の持なり。
荒脛社(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による戸崎氷川神社の由緒
長元元年(1028)長沢信勝は兄良房知行地戸崎村に帰農し、同6年富士浅間社と氷川社を祀り、のち浅間社は同家の氏神としてのこし、氷川社を村の鎮守とした。(「戸崎村鎮守氷川神社由緒」より)(「上尾の神社・寺院」より)
「埼玉の神社」による戸崎氷川神社の由緒
氷川神社<上尾市戸崎九八三(戸崎字氷川)>
戸崎の北端部の雑木林の中に、集落を見守るかのような形で当社は南面して鎮座している。境内には市指定保存樹木になっている樫や欅の巨木が何本もあり、ちょうど参道を入ったばかりの所にある二本の大欅は、まるで大きな鳥居のようにそびえている。この大欅があるためか、当社には昔から鳥居がない。
この、戸崎の開発は古く、「長沢家系図」によれば、長元元年(一〇二八)に松山城主長沢良房の弟信勝が、兄の知行地であった当地に家臣の秋山源六・森田弥七・榎本武助の三氏と共に移住したことに始まる。この四軒が当地の草分けであり、社記によれば、帰農した長沢信勝が長元六年(一〇三三)に富士浅間社と氷川社を勧請したのが、当社の創始であるという。その後、村の発展に伴い、当社は戸崎村の鎮守として祀られ、一方の富士浅間神社は長沢家の氏神として祀られるようになった。当社は更に、隣接する中新井と堤崎の鎮守でもあり、『風土記稿』戸崎村の項に「氷川社 中新井・堤崎及び当村の鎮守なり、村民の持なり」とあるのは、そうした状況を記したものである。
創建にかかわった長沢家が江戸時代にも「社家」「別当」などと呼ばれて管理を行っていたため、当社は寺院の持ちになることはなく、維新による大きな影響も受けず、明治六年に村社になった。その後、拝殿と幣殿は昭和七年、本殿は同十一年に再建され、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
戸崎氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)