寶王山少林寺。佛源禅師開山、足立新秩父三十四ヶ所霊場
少林寺の概要
臨済宗円覚寺派寺院の少林寺は、寶王山と号します。少林寺は、北条時宗夫人覚山尼が開基となり、圓覺寺塔頭蔵六庵や鎌倉金寶山浄智寺を開いた佛源禅師(正應2年1288年寂)が開山したといいます。戦国時代には岩槻城主太田氏房からの寄進を受けていたともいい、江戸期には徳川家光より寺領10石の御朱印状を拝領していたといいます。足立新秩父三十四ヶ所霊場12番です。
山号 | 寶王山 |
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院号 | - |
寺号 | 少林寺 |
本尊 | 観世音菩薩像 |
住所 | 上尾市西門前399 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
少林寺の縁起
少林寺は、北条時宗夫人覚山尼が開基となり、圓覺寺塔頭蔵六庵や鎌倉金寶山浄智寺を開いた佛源禅師(正應2年1288年寂)が開山したといいます。戦国時代には岩槻城主太田氏房からの寄進を受けていたともいい、江戸期には徳川家光より寺領10石の御朱印状を拝領していたといいます。
新編武蔵風土記稿による少林寺の縁起
(門前村)小林寺
臨済宗、鎌倉圓覺寺末、寶王山と號す、寺領十石の御朱印は大猷院殿より賜はれり、開山佛源禅師は本寺圓覺寺の塔頭、蔵六庵の開祖にして、諱は正倉大休と號す、温州の人なり、文永六年己巳十月九日歸化し、正應二年十一月寂せり、この人當山及び相州鎌倉金寶山浄智寺をも開きしと云、この寺開闢より年久しくして、事實詳ならざれど、永禄年中太田十郎氏房より寄附の状等有しが、近き頃火災に罹て烏有となり、未だ本堂も再建せず、假に住僧の居所をかまへ、本尊正観音を安ぜり。
鐘樓。近き頃鑄造の鐘をかけり。
諏訪社。當村及び久保・南三村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
「上尾の神社・寺院」による少林寺の縁起
「新編武蔵風土記稿」によれば、開山は仏源禅師、この人円覚寺塔頭蔵六庵の開祖で諱は正倉大休。温州の人で文永6年(1269)10月9日帰化、正応2年(1289)11月寂、この人当山及び鎌倉浄智寺をも開く。なお、開基は北条時宗夫人覚山尼と伝える。創建は正応元年(1288)10月24日と伝う。寺領十石の朱印状を大猷院殿(家光)より賜う。文化3年(1806)失火により山門を残し焼失。(「上尾の神社・寺院」より)
少林寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)