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宗岡天神社。志木市中宗岡の神社

宗岡天神社の概要

宗岡天神社は、志木市中宗岡にある天神社です。宗岡天神社は、寛永3年(1626)江戸湯島天神を分祀したと伝えられ、明治5年村社に列格したといいます。

宗岡天神社
宗岡天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真
相殿 天照大御神、春日大神、八幡大神
境内社 伊都岐島神社、稲荷神社、八坂神社、阿夫利神社、水神社、大杉神社、御嶽神社、辨財天社
祭日 -
住所 志木市中宗岡1-4-36
備考 -



宗岡天神社の由緒

宗岡天神社は、寛永3年(1626)江戸湯島天神を分祀したと伝えられ、明治5年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による宗岡天神社の由緒

(宗岡村)天神社
実蔵院の持
稲荷社。辨財天社(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による宗岡天神社の由緒

寛永三年(一六二六)江戸湯島天神を分祀したと伝えられている。明治五年村社に列せられ、昭和三年社殿新築、昭和三十七年拝殿・幣殿・覆殿改築、社務所、昭和四十六年新築(境内掲示より)

志木市教育委員会掲示による宗岡天神社の由緒

祭神は菅原道真公、配祀神として春日大神と八幡大神がそれぞれ祀られています。
創立年代は不詳ですが、一説では江戸の湯島天神を分祀したものといわれており、一方では近世初期にこの地を支配し、後に代々名主主役を務めていた木下氏の先祖にあたる山口大膳が山口(現所沢市)から来住した際に出身地の氏神を分祀してきたという説もあって、定説はありません。
この神社は昔から字北美町(現在の中宗岡一〜二丁目付近)と字南界駅(現在の中宗岡四〜五丁目付近)の鎮守社として崇敬されてきました。(志木市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による宗岡天神社の由緒

新河岸川に架かるいろは橋の名は、かつてそこにいろは樋という掛樋があったことにちなむものである。寛文二年(一六六二)に完成したこの掛樋は、野火止用水の余水を新河岸川の対岸から宗岡地内に引いたもので、この掛樋によって宗岡地区の水利は格段によくなり、水田が増加した。したがって、いろは樋は宗岡の開発の象徴であった。
当社の境内は、そのいろは樋の跡のすぐ近くにあり、周辺がまだ水田ばかりであったころには遠くからでもよく見え、この辺りを通る人の目印にもなっていた。こうした地域性によるのであろうか、一般に「天神様」といえば学問の神という印象が強いが、当社は五穀豊穣の神として、地元の人々から信仰されてきており、参道付近には農業協卸組合や数軒の米敷商が立ち並ぶ。
創建については「寛永三年(一六二六)に江戸の湯島天神の分霊を勧請した」との口碑が伝えられている。また、近年まで当社の境内地の約半分は、参道脇にあった旧名主の木下家の所有地であった。内陣に安置された白幣の幣芯に「大願成就 宝暦六乙子年(一七五六)八月吉日 入間郡宗岡村 木下角左衛門敬白」とあることや、嘉永五年(一八五二)に造られた天満天神座像の台座の墨書名にも世話人の筆頭に木下平内の名前があることなどから、当社の創建や祭祀には同家が関与していたことが推測される。(「埼玉の神社」より)
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宗岡天神社の周辺図


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参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)


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