蓮華山實蔵院。志木市中宗岡にある真言宗智山派寺院
實蔵院の概要
真言宗智山派寺院の實蔵院は、蓮華山無量寿寺と号します。實蔵院は、行者澄平が元和3年(1617)創建、傳英(寛保2年1742年寂)が中興開山したといいます。
山号 | 蓮華山 |
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院号 | 實蔵院 |
寺号 | 無量寿寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 志木市中宗岡1-15-61 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
實蔵院の縁起
實蔵院は、行者澄平が元和3年(1617)創建、傳英(寛保2年1742年寂)が中興開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による實蔵院の縁起
(宗岡村)實蔵院
新義真言宗、新座郡館村寳幢寺の末、蓮華山と號す、開山傳英寛保二年正月十三日の示寂と云、是は中興の開山なるべし、本尊弥陀を安置なせり。(新編武蔵風土記稿より)
志木市教育委員会掲示による實蔵院の縁起
正式には蓮華山無量寿寺実蔵院と称し、言い伝えによれば、行者澄平が沼で投網をした際に網にかかってきた銅製の阿弥陀如来像を本尊として、元和三年(一六一七)に創建した創庵がその始まりといわれています。
澄平はその後信州に赴いたため、草庵はしばらく無住となっていましたが、明暦三年(一六五七)三月に沙門宥啓が再興して、実蔵院と号したと伝えられています。
この寺を大きくしたのは三世の伝英(寛保二年一七四二正月十三日示寂)で、当寺の中興開山とされています。その後宝暦十二年(一七六二)十月に宝幢寺の末寺となり現在に至っています。
なお、学制の施行により明治七年に宗岡学校(小学校)が設立された時には、当寺が校舎として利用されました。(志木市教育委員会掲示より)
實蔵院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」