岡氷川神社。岡村・根岸村・溝沼三村の鎮守
岡氷川神社の概要
岡氷川神社の創建年代や由緒については不詳ですが、岡村・根岸村・溝沼三村の鎮守として祀られていたといいます。明治時代には村社に列格していました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞雄命 |
相殿 | - |
境内社 | 訪神社・八幡神社・三宝荒神社・水天宮・稲荷神社・猿田彦大神・菅原神社・天満宮・須賀神社・御嶽神社 |
祭日 | - |
住所 | 朝霞市岡3-20-1 |
備考 | 岡村・根岸村・溝沼三村の鎮守 |
岡氷川神社の由緒
岡氷川神社の創建年代や由緒については不詳ですが、岡村・根岸村・溝沼三村の鎮守として祀られていたといいます。明治時代には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による岡氷川神社の由緒
(岡村)氷川社
村の東方にあり、当村及び根岸・溝沼三村の鎮守なり。勧請の年暦詳ならず。神体は在原業平を祭ると云。昔は神職田中豊前と云者の持なり。この田中は溝沼村に住せしが、其子孫神職を辞し百姓となりける故、今は村内東円寺の持となれり。(新編武蔵風土記稿より)
埼玉の神社による岡氷川神社の由緒
当社の境内からは造営時に用いられたと思われる鎌倉時代の剣尖状軒先平瓦が発見されている。その創建も鎌倉時代あるいはそれ以前にさかのぼるものであろう。
鎮座地の約二〇〇メートル南方には「城山」と呼ばれる南北朝期から戦国期にかけての居館跡がある。「風土記稿」には「永禄の比(一五五八-七〇)此近郷は太田新六郎康資が知行と云へば、もしくは康資が館などありしにや」の一文が見える。往時、この館に居住した武将により当社に崇敬が寄せられたことは想像に難くない。
また、同書には「氷川社 村の東方にあり、当村及び根岸・溝沼三村の鎮守なり。勧請の年暦詳ならず。神体は在原業平を祭ると云。昔は神職田中豊前と云者の持なり。この田中は溝沼村に住せしが、其子孫神職を辞し百姓となりける故、今は村内東円寺の持となれり。」とある。地元には業平にまつわる伝説はないが、旧新倉郡の内では東国に下向した業平が館の「柏の城」に滞在した伝えや、野寺の満行寺を業平が歌に詠んだ伝えがあり興味深い。現在の祭神は素盞嗚尊である。
神仏分離の後は、明治七年に比留間弥太郎が社掌となり、以後、包魏・好次・栄和と四代にわたって当社に奉仕している。比留間家は所沢市坂下の出で、元は加藤姓であったが、岡の名主であった比留間本家の支援を受けて改姓し、村内で学問を教えていた家柄であった。(埼玉の神社より)
岡氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)