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下ノ氷川神社。志木市下宗岡の神社

下ノ氷川神社の概要

下ノ氷川神社は、志木市下宗岡にある氷川神社です。下ノ氷川神社は、宗岡の発展に伴い上下に分村、上ノ氷川神社を分祀して観応2年(1351)に創建、創建に際して茶臼の上下をそれぞれに納め、上ノ氷川神社と当社が向かい合うようように配置したといいます。

下ノ氷川神社
下ノ氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 須佐之男命
相殿 奇稲田姫命、大己貴命
境内社 八坂神社、水神社、稲荷社
祭日 -
住所 志木市下宗岡4-7-43
備考 -



下ノ氷川神社の由緒

下ノ氷川神社は、宗岡の発展に伴い上下に分村、上ノ氷川神社を分祀して観応2年(1351)に創建、創建に際して茶臼の上下をそれぞれに納め、上ノ氷川神社と当社が向かい合うようように配置したといいます。

新編武蔵風土記稿による下ノ氷川神社の由緒

(宗岡村)氷川社
村の鎮守にて観音寺持なり、社の傍に小社を構へて當社を守る者居る
稲荷社。第六天社。天王社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による下ノ氷川神社の由緒

宗岡は、上から下に向かって村が開けていき、観応二年(一三五一)には鎮守も上から下に分祀されることになった。その結果、創建されたのが当社であり、上ノ氷川神社に対し「下の宮」と呼ばれる。当社が北向きに鎮座しているのは、上ノ氷川神社の方を向いているのであり、こうした神社の配置からは、向かい合った上下の氷川神社の神恩を得て、村内の安全と五穀豊穣を願った村人の心意が感じられる。
当社の神体は、本殿下の土中に埋められた石臼の上石であるが、これは、分祀の際、一組の茶臼石の双方に年号を刻み、上下の氷川神社に一体ずつ納めたものの片割れであると伝えられているものである。この石臼は、昭和四年及び同六十一年の本殿改築の折に掘り出された時の記録によれば、大きさは直径二五センチメートル、厚さ一二センチメートルで、幅・奥行き共に約二センチメートル、深さ約一メートルの石組の中央に丁重に埋納されていた。しかし、紀年銘などはなく、大きさも上ノ氷川神社の石臼と合わないことから、恐らくは石臼が一般に普及した江戸時代に、創立の伝承に基づき、改めて奉納されたものではないかと推測される。
一方、昭和四年の改修時の棟札によれば、当社では創建の後、宝徳三年(一四五一)・延宝三年(一六七五)・安永七年(一七七八)・明治十六年の四回の再建と、宝暦四年(一七五四)の拝殿の建て替えがあり、宝暦四年の建て替えについては当時の棟札も現存する。(「埼玉の神社」より)

志木市教育委員会掲示による下ノ氷川神社の由緒

下ノ氷川神社
観応二年(一三五一)九月に上宗岡の氷川神社(上ノ氷川神社)を分祀したものといわれています。
その時に、上ノ氷川神社にあった茶臼を二つに分け、上石に「観応二年」の年暦を刻んで神殿の床下に埋め、真上にあたる社殿内に幣帛の御神体を祀ったといわれており、このため多くの社寺が南面または東面しているのに対し、当社は北面して上ノ氷川神社と向き合い、氏子の村人を守るとされています。
昭和六十一年秋に新しい装いに改築された社殿の中には、江戸期のものを含む数多くの絵馬が収蔵されています。(志木市教育委員会掲示より)
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下ノ氷川神社の周辺図


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参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)


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