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下内間木氷川神社。朝霞市下内間木の神社

下内間木氷川神社の概要

下内間木氷川神社は、朝霞市下内間木にある氷川神社です。下内間木氷川神社は、西福寺の境内社として創建、明治時代には村社に列格していたといいます。

下内間木氷川神社
下内間木氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 八幡大神、大禄天、富士浅間、稲荷、御嶽、天満宮、金毘羅、水天宮
祭日 -
住所 朝霞市下内間木36
備考 -



下内間木氷川神社の由緒

下内間木氷川神社は、西福寺の境内社として創建、明治時代には村社に列格していたといいます。

新編武蔵風土記稿による下内間木氷川神社の由緒

(下内間木村西福寺項)
氷川社。客殿の西にあり、祠は二間半四面、前に鳥居を建つ(新編武蔵風土記稿より)

埼玉の神社による下内間木氷川神社の由緒

当地は、西を新河岸川、東を荒川が流れて南で合流し、三方を川に囲まれていることから、水害に絶えず悩まされた。村の開発は伝えられていないが、天正十九年(一五九一)五月旗本加藤源四郎は「内間木之村」十七石などを宛行われた。恐らく開発当初は、自然堤防上に集落と畑がわずかに存在していたと思われる。それ以降石高の変化は見られないが、宝永四年(一七〇七)の検地では大幅に増加しておりこの時期に新田の開発が急激に進んだ。また、同年に新田が上内間木村として分村したため、本村である当村は下内間木村と改称した。
このような中で、地内の真言宗西福寺の境内社として祀られたのが当社である。西福寺は、開山の権大僧都香泉が寛永二十年(一六四三)の入寂と伝わることから江戸初期の創建と思われる。恐らく当社は、村の開発が進められる中で治水の神として西福寺の住職の手により勧請されたのであろう。『風土記稿』西福寺の項には「氷川社、客殿の西にあり、祠は二間半に四間、前に鳥居を建つ」と載る。寺の境内社としては大規模な社殿であり、化政期(一八〇四―三〇)には村の鎮守として位置付けられていたのであろう。村の発展とともに村人の信仰を集めていったと思われる。
明治初年の神仏分離により当社の別当から離れ、社格制定に際して村社に列した。(埼玉の神社より)


下内間木氷川神社の周辺図


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参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)



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