薬傳山三光院。慶長13年に創建
三光院の概要
真言宗智山派寺院の三光院は、薬傳山海前寺と号します。三光院は、永雅法印が開山となり慶長13(1608)年に創建したといいます。
山号 | 薬傳山 |
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院号 | 三光院 |
寺号 | 海前寺 |
本尊 | 薬師如来像 |
住所 | 朝霞市浜崎3-7-35 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
三光院の縁起
三光院は、永雅法印が開山となり慶長十三(一六〇八)年に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による三光院の縁起
三光院
境内除地、村の西氷川社の邊にあり。新義真言宗、豊島郡石神井村三寶寺末、薬傳山と号す。
本堂7間に5間、本尊薬師如来を安す。又不動尊の像あり。
此寺開山の年暦詳ならず。先住宥秀法印は寛文8年に寂せしと。云ときは此頃は己に開けたる事しるべし。(新編武蔵風土記稿より)
「朝霞市史」による三光院の縁起
浜崎地区・三光院
薬傳山三光院海前寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は日光・月光両菩薩を従えた坐像の薬師如来三尊である。ふだんは秘仏として前立の薬師如来像を拝するようになっている。近世においては石神井三寶寺の末寺であった。寺伝によれば開山は永雅法印で、慶長十三(一六〇八)年の創建とされるが、『風土記稿』には詳細不明と断ったうえで、先住職宥秀法印は寛文八(一六六八)年に寂していることから、それ以前であろうとある。また、安置する真言宗中興の祖、興教大師尊像は「法印順雄房宥賢造立之、元禄五壬申歳三月二十一日」との銘もあることから、少なくとも創建年は近世初期と考えられている。なお、『風土記稿』には三光寺として記載があり、如何にしても三光院と記すようになったか、その経緯はよくわかっていない。
近代においては、明治十一(一八七八)年第三小学校の前身である新盛小学校が置かれたり、旧内間木村役場も設置されたりした。本堂は昭和五十五年に大改修が行われたが、木造骨組みは以前のままとしてある。(「朝霞市史」より)
三光院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「朝霞市史」