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広沢観音堂。朝霞市本町にある真言宗寺院

広沢観音堂の概要

真言宗寺院の広沢観音堂は、朝霞市本町にある観音堂です。広沢観音堂の創建年代等は不詳ながら、東圓寺の持として字広沢の堂山に祀られていたものの、天正18年戦渦に罹災、その後広沢池付近に移して再建したといいます。

広沢観音堂
広沢観音堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 観音堂
本尊 -
住所 朝霞市本町3-5
宗派 真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



広沢観音堂の縁起

広沢観音堂の創建年代等は不詳ながら、東圓寺の持として字広沢の堂山に祀られていたものの、天正18年戦渦に罹災、その後広沢池付近に移して再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による広沢観音堂の縁起

(岡村東圓寺項)観音堂
廣澤池の邊少しく高き処にあり。故に廣澤観音と云べきを、土人平澤観音と云は誤れり。廣澤観音なるべし。堂は3間四面、除地5段あり。昔は今の地より南の方なる山上にあり、堂も広大なりしが天正18年北条氏照が城山(この城は入間郡城村の内にあり)合戦の時、煙を上げんとてこの堂を焼しと云、(或は云別に大伽藍ありしを焼たりと)今は礎石のみ残れり、土俗に其地を堂山と宇す。今の堂は村内東圓寺持なり。三枝攝津守当所知行せし時、除地となりしより今に至りて然り。(新編武蔵風土記稿より)

「朝霞市史」による広沢観音堂の縁起

岡地区・観音堂
広沢の池の傍らに立つ堂庵で、一般的には広沢観音と呼ばれている。『風土記稿』では、かつてはもう少し南寄りの山の上にあったが、天正十八年(一五九〇)年北条氏照が合戦の際、煙を上げるために堂(あるいは伽藍とも)を焼いてしまったので、以前のそれは消滅し、今は礎石だけが残っている。そして、その山を人々は堂山といっている、とある。また『明細張』では字広沢を所在地とし、宗旨を真言宗、本尊を観世音菩薩、信徒を一一人とするとの記載もある。一方、伝説としては、片目の魚の話が伝えられている。すなわち、昔、ある片目の僧がこの世を儚んで、広沢の池に身投げした。以来、池の魚はみな片目となったというものである。そして、その魚も池に掛かる橋より下流に入ると両目に戻る、とも伝えられている。ちなみに、広沢の池は水噴の池だが、かつて周囲は木々が鬱蒼とし、昼間でも暗いようなところで、流れだす水は農業用水としても利用され、根岸台地区から和光市新倉あたりの田畑を潤していたという。
ところで、当堂は『風土記稿』にも「東圓寺持ナリ」と記されているように、表向きには古くから同寺の境外仏堂として存在していたと位置づけられるが、実際には広沢地区の信仰的な中心施設として、大きな役割を果してきたといってよい。当所は旧岡村のうちでも遠辺地にあり、中央の社寺へ赴くにはいささか煩わしさもともなったことから、ここ観音堂ではさまざまな祭祀行事が執り行われてきたのである。(中略)
なお、本尊様のほかには白山様・地蔵様・不動様・弁天様がある。それぞれは特定の祭祀日を持たないが、なかでも白山様は歯痛のときに参り、その治癒をよく念じたものだったという。(「朝霞市史」より)


広沢観音堂の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「朝霞市史」



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