本仙寺。廣澤山朝霞市岡にある日蓮宗寺院
本仙寺の概要
日蓮宗寺院の本仙寺は、廣澤山と号します。本仙寺は、池上本門寺第九世恵眼院日純上人(法光院日宣)が天文元年(1532)に開山したといいます。
山号 | 廣澤山 |
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院号 | - |
寺号 | 本仙寺 |
本尊 | 三宝祖師像 |
住所 | 朝霞市岡2-5-56 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 城山霊廟受付中 |
備考 | - |
本仙寺の縁起
本仙寺は、池上本門寺第九世恵眼院日純上人(法光院日宣)が天文元年(1532)に開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による本仙寺の縁起
本善寺
城山の中腹に在て耕地に臨めり。法華宗池上本門寺末、廣澤山と号す。門はなし。客殿7間に5間。(新編武蔵風土記稿より)
「朝霞市史」による本仙寺の縁起
岡地区・本仙寺
廣澤山本仙寺といい、宗旨は日蓮宗一致派で、本尊は日蓮上人である。もとより本寺を池上本門寺とする。『風土記稿』では、本善寺と記し、「城山ノ中腹ニ在テ耕地ニ臨メリ」とある。また、明治一七年眞造の同寺「過去帳」にょれば、創建年は天文元(一五三二)年で、開山は池上本門寺第九世恵眼院日純上人(法光院日宣)としている。旧境内付近からは宝篋印塔・板碑等が出土されているが、このうち最古の年代は貞治五(一三六六)年であることなどからして、少なくとも一四世紀半ばには何らかの堂宇あるいは持仏堂の建立をみてたと推測されている。特に、寺の成り立ちについては、岡の城山に存在したとする中世城郭との関係が探求されているところでもある。当寺は、元寺田と呼ばれる低地にあったが、明治になってやや東寄りの現在地に移転した。山麓にあったことは本堂も庫裡もひとつ棟の建物で、本来、小寺院的ないしは墓辺寺・三昧堂的な性格をもっていたともいわれている。
最近のこととしては、昭和四十五年に墓地造成、四十九年に庫裡、五十年に客殿、五十九年に本堂、六十二年に山門と相次いで改築が施された。また昭和六十二年には大黒堂も新たに造立されている。(「朝霞市史」より)
本仙寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「朝霞市史」