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上影森諏訪神社。秩父市上影森の神社

上影森諏訪神社の概要

上影森諏訪神社は、秩父市上影森にある神社です。上影森諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には上影森の鎮守社として祀られていました。当地は椿森と呼ばれ、秩父では珍しいほど椿が多い杜だったといいます。当社の舞台は、秩父地方における農村歌舞伎舞台の典型例として秩父市有形民俗文化財に指定されています。

上影森諏訪神社
上影森諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 八坂刀賣命
境内社 八坂神社、椿森稲荷社、天津・疱神・厳島・蚕神・天神・八幡社
祭日 夏祭り七月第四日曜日、春祭り四月二十九日
住所 秩父市上影森255-1
備考 -



上影森諏訪神社の由緒

上影森諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には上影森の鎮守社として祀られていました。当地は椿森と呼ばれ、秩父では珍しいほど椿が多い杜だったといいます。

新編武蔵風土記稿による上影森諏訪神社の由緒

(上影森村)
諏訪社
村民持村中の鎮守なり、例祭七月廿六日、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上影森諏訪神社の由緒

諏訪神社<秩父市上影森二五五-一(上影森字原)>
秩父市の南西に位置する上影森は、南東に武甲山がそびえ、西に荒川が流れ、『風土記稿』には「村名の起りは武甲の大山を東南にうけし村なれば、山の影なる森と云名義とぞ土人云へり」とある。
当社は当地方にはめずらしく、かつて椿森と呼ばれたほど椿の多い杜であった。鎮座地は、上影森の南西に当たり、国道一四〇号線と旧街道との分かれ目に接している。
現在、社殿は武甲山に向いて建てられているが、昭和三四年に焼失する以前は、氏子区域を見守るように建てられていた。
また、境内にある歌舞伎舞台は大正六年に造られたもので、回り舞台になっていることから、現在市指定有形民俗文化財となっている。
祭神は建御名方命で、戦前までは武神、あるいは農耕神として信仰を集めたが、昭和三六年に新たに姫神である八坂刀賣命を併せ祀ったことから、夫婦和合・一家円満の神として崇敬されている。
昭和三六年再建の棟札には、天正五年・享保六年・宝暦一二年・安永二年・天明六年・文化三年の本殿造営及び屋根葺き替えの棟札の写しが記されており、造営の足跡を知ることができる。
祀職は、江戸期には曹洞宗竜河山大淵寺が別当として務めていたが、明治以降、笠原大海、大野政右衛門、大野宗治、大野武一、関田太作と継ぎ、現在は大野武一が再びその任に当たっている。(「埼玉の神社」より)


上影森諏訪神社所蔵の文化財

  • 諏訪神社附設舞台(秩父市指定有形民俗文化財)
  • 上影森諏訪神社のスギ一本(秩父市指定天然記念物)

諏訪神社附設舞台

間口約11m、奥行約7m、木造の舞台で、建造年代は江戸末期から明治初年のものと推定されます。かって上影森村が戸数八十五戸であった時代に村の若者たちの手によって木材の伐採に始まり、運搬・建築と幾多の困難を克服して完成したと言われております。
以来、諏訪神社の祭礼や農休みの年中行事として歌舞伎などが上演されて参りましたが、時代の変化とともに舞台を使用しての公演が困難になるとともに舞台も荒廃してまいりました。
この舞台は秩父地方における農村歌舞伎舞台の典型的なものの一つで、その特色は二重・下座・セリ上げ装置・まわり舞台等内部構造は古い形をとどめています。
昭和五十三年氏子の皆さんの浄財により一部補強修理を完了し、その保存をはかることになりました。(秩父市教育委員会・管理者大堅武一 掲示より)

上影森諏訪神社の周辺図