金嶽春日神社。武蔵七党中丹党の根拠地
金嶽春日神社の概要
金嶽春日神社は、長瀞町井戸にある神社です。金嶽春日神社の創建年代は不詳ですが、金ヶ嶽に鎮座、武蔵七党中丹党の根拠地であったことを示す資料が残されているといいます。明治維新語には村社に列格していました。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | 琴平神社 |
祭日 | - |
住所 | 秩父郡長瀞町井戸1222 |
備考 | 旧村社 |
金嶽春日神社の由緒
金嶽春日神社の創建年代は不詳ですが、金ヶ嶽に鎮座、武蔵七党中丹党の根拠地であったことを示す資料が残されているといいます。
新編武蔵風土記稿による金嶽春日神社の由緒
(井戸村)春日社
三社の内一社は村内法善寺持、二社ともに村民持(新編武蔵風土記稿より)
金嶽春日神社の鎮座する金ヶ嶽について
金ヶ嶽
金ヶ嶽は山容嶮しく、町内のどこから眺めても目に付く山である。ここから三十分登れば、春日神社(琴平神社合祀)の小祠がある山頂に着く。
社殿には、約一.八メートルの奉納額があるが、奉納者として丹冶姓を名乗る者が五人も書かれており、これは古代末期から中世にかけて活躍した武蔵七党中丹党の根拠地であったことを示す資料と考えられ、井戸地区の歴史を物語るものである。
奉納額には、文久元年(一八六一)の銘と東西力士の名を連ねてあるが、丹冶姓は次のとおりである。
岩田三郎丹冶直利、岩田丑太郎丹冶直基、
岩田虎作丹冶直斎、中山諏訪五郎丹冶直仔、
中山藤五郎丹冶直一
また、この奉納額のほか、丹冶の姓が見られるのは、法善寺墓地にある墓石にきざまれたものだけである。
長瀞には丹冶林という平地林もあるが、金嶽春日神社の奉納額は、丹党の継承者のいることを示す唯一の資料である。(長瀞町掲示より)
金嶽春日神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿