明智寺。横瀬町横瀬にある臨済宗南禅寺派寺院

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明星山明智寺。秩父三十四ヵ所霊場

明智寺の概要

臨済宗南禅寺派寺院の明智寺は、明星山と号します。明智寺は、明智禅師が建久2年(1191)に開創したといいます。江戸期には、観音堂を称して明智寺明星山と称していたといいますが、明治16年落雷により焼失、平成2年現在の観音堂が再建されています。秩父三十四ヵ所霊場9番です。

明智寺
明智寺の概要
山号 明星山
院号 -
寺号 明智寺
住所 秩父郡横瀬町横瀬2160
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 如意輪觀音像
葬儀・墓地 -
備考 秩父三十四ヵ所霊場9番、長興寺兼帯




明智寺の縁起

明智寺は、明智禅師が建久2年(1191)に開創したといいます。江戸期には、観音堂を称して明智寺明星山と称していたといいますが、明治16年落雷により焼失、平成2年現在の観音堂が再建されています。

境内掲示による明智寺の縁起

明智寺は建久2年(1191)明智禅師の開創と伝えられる。江戸時代の観音堂は札所五番語歌堂と同時代同形式、3間5尺4面で建立されたが、明治16年(1883)落雷により焼失した。その後長く民家風の仮堂であったが、平成2年に至って現在の観音堂が再建された。
当寺は安産子育ての観音として広く知られており、1月16日の縁日には各地より女性参詣者で賑わいを見せる(平成20年までは8月16日も縁日だった)。境内には室町時代の板石塔婆や、その昔女性の願いを納めたと云う石碑「文塚」(道標を含む)がある。(横瀬町教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による明智寺の縁起

(横瀬村)第九番觀音
秩父卅四番札所の内なり、小名明智にあり、此堂を稱して明智寺明星山と號す、堂は南向六間四面(今堂三間五尺四面)本尊如意輪觀音、木坐像長七寸二分惠心僧都の作、【圓通傳】に、立像長八寸三分、行基の作とす誤れり、【圓通傳】曰、この觀音は建久二年明智善治将来して、此所に堂を立て、安置したまうと云傳へたり、天正年中横瀬氏の臣、加藤某と云るものこの本尊を信じ、その領地持山に堂を引移しければ、この里民悉く疫病に悩まされぬれば、村長等持山へ来て曰、これ必ず本尊を當所へ移せし祟りなるべし、早く本所へ歸し遷さんと乞ふ、住僧諾して云予が心合すと、或領主に告て、舊地に移さんとすれば、領主の使来て曰、昨夜本尊夢に告て曰、舊地は艮位にあたり、當郡の鬼門關なり、疫神此地に籠りて、動もすれば、里民を惱す、君彼地の疫病を除かんが爲に、跡を垂る、今此地に移るが故に、舊地は悉く疫神の所在となる、早く舊地に皈すべし、もししからずんば、彼地の人民子遺をあることなけんと、新なる佛勅片時も默止がたしと、演説せしかば、各掌を拍て感歎し、即ち今の道場に遷座せしむと云々、順禮の詠歌に曰、回り来てその名を聞けば明智寺、心の月はくもらざるらん、
別當長興寺
村内小名宮の下に在て兼帶せり、その條は末に記す、
奥院。出山の釋迦を安ず、
札堂。如意輪觀音を安ず
釋迦堂。出山の釋迦を置く、別に勢至・地蔵・彌陀等あり、
寮。觀音の堂宇ここに居る(新編武蔵風土記稿より)


明智寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿