神戸神社。東松山市神戸の神社
神戸神社の概要
神戸神社は、東松山市神戸にある神社です。神戸神社の創建年代等は不詳ながら、津島牛頭天王・世良田八坂神社の神体と同木で造られた三体のうちの一体を当社で祀ったと伝えられ、天王社と称していました。明治初年に八雲神社と改称、明治40年には字中道氷川社、字杉ノ台愛宕社、字山王日吉社を合祀し神戸神社と改称しています。当社例祭に奉納される「神戸の獅子舞り」は、東松山市民俗文化財に指定されています。
社号 | 神戸神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 弁天社 |
祭日 | 例祭7月24・25日 |
住所 | 東松山市神戸64 |
備考 | - |
神戸神社の由緒
神戸神社の創建年代等は不詳ながら、津島牛頭天王・世良田八坂神社の神体と同木で造られた三体のうちの一体を当社で祀ったと伝えられ、天王社と称していました。明治初年に八雲神社と改称、明治40年には字中道氷川社、字杉ノ台愛宕社、字山王日吉社を合祀し神戸神社と改称しています。
新編武蔵風土記稿による神戸神社の由緒
(神戸村)
氷川社
村内の鎮守とす、
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天王社
以上二社、共善能寺持、
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山王社
稲荷社
已上二社、共宮本院持、
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愛宕社
稲荷社
已上二社、共眞如院持、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による神戸神社の由緒
神戸神社<東松山市神戸八七五(神戸字天王)>
当地の人々は、初め村の西方の山上に谷地田を開いて集落をなし、ここに当社も鎮まっていた。その旧社地は、東松山グリーンセンターの西側にある山林内で、今に「天王山地」の地名で呼ばれている。これがいつのころか生産性の高い麓の平坦地に耕地を開いていくようになり、当社も集落と共に麓に移ってきた。
当社の創建については、一木から三体の像を彫り、一つは尾張国津島の地に、一つは上野国瀬良田の地に、一つは武蔵国神戸の地に祀られ、いずれも牛頭天王と称したとの伝承が『明細帳』に記されている。氏子の間には「世良田の天王様は当社の兄弟だ」「津島神社が本社で、この地に分祀されたためにお札が本社から頒布されていた」との口碑が残されており、この記事を裏付ける。
『風土記稿』には、善能寺持ちの社として載る。善能寺は天王山と号する真言宗の寺院で、当社の西方四〇〇メートルの地に堂を構えていた。昭和初年まで当社の祀職を務めた神戸栄松は、この善能寺法印の裔であった。ちなみに、同寺跡地には歴代法印の墓石が残り、「法印権大僧都阿闍梨□及」の延宝五年(一六七七)とある墓が最も古い。
明治初年に八雲神社と改称し、更に明治四十年には字中道の氷川社、字杉ノ台の愛宕社、字山王の日吉社を合祀して神戸神社と改めた。
祀職は、神戸家の後を渡辺好平・渡辺一夫と継いでいる。(「埼玉の神社」より)
神戸神社所蔵の文化財
- 神戸の獅子舞(市指定無形民俗文化財)
神戸の獅子舞
神戸の獅子舞は七月二十四、二十五日の夏祭に、神戸神社で奉納される。
獅子舞の由来はつまびらかでないが、獅子の太鼓に「寛政三年(一七九一)六月吉日、太皷屋三左衛門」と墨書されている。
この獅子は、昔は善能寺から出たものだが、寺が焼けてからは総代の家から、やがて社務所から出るようになった。
旱魃の年には鞍掛淵の河原で雨乞獅子を舞い、又伝染病の流行した年には悪魔払いに獅子が村中を廻ったという。
獅子は「メジシ」「ナカジシ」「ホーガン」と呼ぶ一人立ちの三匹獅子舞で、昇殿カグラ、ドジョウネコ、中のカグラ、メジシカクシ、トンビガエシ等を舞う。その特色は「村まわり」をし、「土俵」の中で舞うことである。(東松山市教育委員会掲示より)
神戸神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)