市ノ川氷川神社。東松山市市ノ川の神社
市ノ川氷川神社の概要
市ノ川氷川神社は、東松山市市ノ川にある神社です。市ノ川氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地より北方300mほどの市野川近くの小字もとびか(元氷川)に鎮座していたといいます。伝承では、当社の白幣が大風に飛ばされ当地に落ちたことから当地へ遷座、江戸期には市ノ川村の産土神として祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治4年村社に列格、明治40年には地内の神明社、及びその境内社八坂社を合祀しています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊、天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社 |
祭日 | 夏祭7月14日、例祭10月19日 |
住所 | 東松山市市ノ川1087 |
備考 | - |
市ノ川氷川神社の由緒
市ノ川氷川神社の創建年代等は不詳ながら、当地より北方300mほどの市野川近くの小字もとびか(元氷川)に鎮座していたといいます。伝承では、当社の白幣が大風に飛ばされ当地に落ちたことから当地へ遷座、江戸期には市ノ川村の産土神として祀られていたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治4年村社に列格、明治40年には地内の神明社、及びその境内社八坂社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による市ノ川氷川神社の由緒
(市ノ川村)
氷川社
村の産神なり、村持、
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神明社
これも村持なり、(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による市ノ川氷川神社の由緒
氷川神社<東松山市市の川一〇八七(市ノ川字前山)>
当地「市の川」は、北部を東に蛇行する市野川の名をもって地名とする。戦国期には既に地名が見え、天文二十二年(一五五三)四月一日の北条家印判状によれば、「武州市川永福寺」に「寺内門前一切不入事」「寺領致作土貢」などを安堵している。ちなみに、この永福寺は永正五年(一五〇八)の草創と伝えられる。
口碑によると、当社は初め「もとびか」と呼ばれる地に祀られていたが、ある年の大風で同社の白幣が飛び去って今の地に落ちたことから、村人は神意の致すところとして、ここに社殿を建てて奉斎したという。「もとびか」とは「元氷川」を意味し、その地は現在地の北方三〇〇メートルほどの所である。恐らく市の川沿いに村を開くに当たり、川を鎮める水神をしてここに祀られ、後に川の氾濫を避けるために今の地に遷座したものであろう。『風土記稿』には「氷川社 村の産神なり、村持」とある。
明治四年に村社となり、同四十年には無格社神明社とその境内社八雲神社を合祀した。この両社の旧社地は天王山と呼ばれる高台で、合祀の際に村人が八雲神社の幟竿を担いでこちらに来たとの話が伝えられている。
昭和五十一年には、社殿の再建が行われた。(「埼玉の神社」より)
市ノ川氷川神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)