毛塚神明社。東松山市毛塚の神社
毛塚神明社の概要
毛塚神明社は、東松山市毛塚にある神社です。毛塚神明社は、寛永5年(1628)岩殿正法寺境内に創建、寛政3年(1791)当地に遷座、毛塚村の鎮守社として祀られていたといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 東松山市毛塚349 |
備考 | - |
毛塚神明社の由緒
毛塚神明社は、寛永5年(1628)岩殿正法寺境内に創建、寛政3年(1791)当地に遷座、毛塚村の鎮守社として祀られていたといいます。
新編武蔵風土記稿による毛塚神明社の由緒
(毛塚村)
神明社
村の鎮守なり、田木村慈眼寺持(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による毛塚神明社の由緒
神明社<東松山市毛塚三四九(旧毛塚字八木沼)>
口碑によると、当社は寛永五年(一六二八)に岩殿村の真言宗正法寺境内に創建され、寛政三年(一七九一)にこの地に移された。その移転には氏子の金子家の先祖がかかわったと伝えている。ちなみに、同家の先祖で寛政八年(一七九六)に寂した「権大僧都法印慧日」は正法寺の僧侶であったとの伝承も残されている。
この地に祀られた当初は、越辺川沿いの低地である字八木沼に鎮座していた。高さ一メートルほどの盛り土の上に南を向いて建てられ、傍らには榧の大木がそびえていた。また、周囲は水田が広がることから、遠くからでもこの榧を望むことができ、当社のよい目印となっていた。
氏子の集落もこの字八木沼の地にあって生活を営んでいたが、度重なる水害によって苦しめられ、いつしか人々はこれよりもやや高台の字川辺の地に移り住むようになった。こうして当社は氏子の集落と隔たり、参詣に不便を来すようになった。その後、長い間集落の近くに当社を移すことが氏子の懸案であったが、ついに昭和三十四年の土地改良事業を機に現在地への移転が果たされた。従来七三坪であった境内地は一五六坪に広げられ、社殿修繕と社務所建設が行われ、更に鳥居・参道が設けられるなど、その姿を一新した。更に平成二年の御大典を記念して、社務所の改築が行われた。
なお、往時の別当は、隣村の下田木にある真言宗慈眼寺であった。(「埼玉の神社」より)
毛塚神明社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)