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宮鼻八幡神社。東松山市宮鼻の神社

宮鼻八幡神社の概要

宮鼻八幡神社は、東松山市宮鼻にある神社です。宮鼻八幡神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には当地を知行した旗本横田氏の崇敬を受けてきたといいます。明治41年字大黒部の愛宕神社と八坂神社、字八幡脇の稲荷神社を合祀しています。当社で奉納される宮鼻の獅子舞は、市無形民俗文化財に指定されています。

宮鼻八幡神社
宮鼻八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 譽田別尊
相殿 -
境内社 稲荷神社、天満天神、日枝神社
祭日 -
住所 東松山市宮鼻216
備考 -



宮鼻八幡神社の由緒

宮鼻八幡神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には当地を知行した旗本横田氏の崇敬を受けてきたといいます。明治41年字大黒部の愛宕神社と八坂神社、字八幡脇の稲荷神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による宮鼻八幡神社の由緒

(宮鼻村)
八幡社
村の鎮守なり、本地佛彌陀を安ず。
--
愛宕社
山王社
以上三社村持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による宮鼻八幡神社の由緒

八幡神社<東松山市宮鼻二一六(宮鼻字八幡脇)>
高坂台地南部は、越辺川沿いの低地に半島状に突き出ている。当社は、ちょうどその先端にあり、鎮座地は、その立地から宮鼻と呼ばれる。境内には、根回り八メートル余りの大欅があり、その広い木陰は人々の憩いの場になっている。
古来、幾多の武士により信仰されてきたと伝える当社は、江戸時代にはこの地を知行した旗本横田氏の崇敬を受け、当社に自らの兜の八幡座を納めたと伝えるほか、宝永五年(一七〇八)正月と享保五年(一七二〇)五月には横田由松から石灯籠が奉納された。
江戸時代の初めには、当社の氏子は名主の藤江弥次衛門家(現藤江英雄家)をはじめとする「小屋敷十三軒」と呼ばれる家々と近くの毛塚村分にあった横田氏の知行地の人々であったという。
『風土記稿』宮鼻村の項に「八幡社 村の鎮守なり、本地仏弥陀を安ず」とあるように、当時は阿弥陀如来を祀る神仏混淆の社であった。江戸時代の初めに奉納されたものといわれているこの阿弥陀如来の懸仏は、氏子から「八幡様の御正体」として尊崇されており、神仏分離後も神宝として大切に保管されている。
明治四十一年、字大黒部の愛宕神社と八坂神社、字八幡脇の稲荷神社を合祀した。このうち愛宕神社については、昭和三十九年に大黒部の住民の強い要望により旧地に復した。(「埼玉の神社」より)


宮鼻八幡神社所蔵の文化財

  • 宮鼻の獅子舞(市指定無形民俗文化財)
  • 八幡神社の大ケヤキ(市指定文化財・天然記念物)

宮鼻の獅子舞

宮鼻の獅子舞は、四月一日(現在は四月の第一日曜)の春祈禱に、鎮守八幡神社に奉納されます。引き続き、悪病よけに部落内を行列して歩く「廻り獅子」が行われます。
行列は猿太彦之命(宮鼻では「おクにさん」と呼んでいる)が道案内役として、先頭に立ち、笛太鼓がそのあとに続きます。十月十七日(現在は十一月三日)の秋の大祭は風雨従順・五穀成就・氏子快楽を祈願するもので、八幡神社で獅子舞を奉納したあと香林寺でも獅子舞が奉納されます。このときには、万灯が行列の先頭に立ちます。
この獅子舞は、昔風水害にばかり合い、村人たちが悲惨な毎日を送っていたので、市今井を神社に奉納することになったのが始まりと言われています。
宮鼻の獅子舞は、一人立りの三匹獅子舞で、女獅子・中獅子・宝丸獅子・簓子(ささら)、笛吹き(笛方)、歌うたい(歌方)、ぐんばい(囃子)、万灯持ち(花車持)、世話役(世話掛)で構成されています。その他の役人として、竹の三尺棒(昔は刀をさしていた)を持った七人の警固がいます。
獅子頭は、現在六基ありますが、そのうちの三基は、創始当時の木彫りの重箱獅子で、約百八十年前の文化二年(江戸末期)のものと伝えられています。(東松山市教育委員会掲示より)

宮鼻八幡神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)