小田原神社。東松山市田木の神社
小田原神社の概要
小田原神社は、東松山市田木にある神社です。小田原神社は、真言宗慈眼寺の観定僧都が慈眼寺境内に寛永3年(1626)創建、享保10年(1725)に当地へ遷座したといいます。田木村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治41年字田木山の神明社と字赤城の朝崎稲荷神社を合祀しています。社号の小田原は「平野部の湿田」を示すそうです。
社号 | 小田原神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | 神明社 |
祭日 | 例祭日10月17日 |
住所 | 東松山市田木662 |
備考 | - |
小田原神社の由緒
小田原神社は、真言宗慈眼寺の観定僧都が慈眼寺境内に寛永3年(1626)創建、享保10年(1725)に当地へ遷座したといいます。田木村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治41年字田木山の神明社と字赤城の朝崎稲荷神社を合祀しています。社号の小田原は「平野部の湿田」を示すそうです。
新編武蔵風土記稿による小田原神社の由緒
(田木村)
小田原明神社
村の鎮守なり、祭神詳ならず、慈眼寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による小田原神社の由緒
小田原神社<東松山市田木六六二(田木字宮本)>
社伝によると、当社は寛永三年(一六二六)に観定僧都により地内の真言宗慈眼寺の境内に勧請されたことに始まる。観定僧都とは、慶長年間(一五九六-一六一五)に慈眼寺を開基した僧である。
その後、享保十年(一七二五)に至り、自然堤防上の慈眼寺境内から耕地を隔てた高台の現在地に遷座した。
『風土記稿』には「小田原明神社 村の鎮守なり、祭神詳ならず、慈眼寺持」と載る。
明治六年に村社となり、同四十一年には字田木山の神明社と字赤城の朝崎稲荷神社の無格社二社を合祀した。神明社は元和年間(一六一五-二四)に本山派修験の常覚なるものが創建した社と伝える。朝崎稲荷神社は宝暦十四年(一七六四)に妙安寺九世の日定法印が勧請した社と伝え、昭和三十年代に入って旧氏子赤城地区の人々の要望により元地に復している。
昭和三十三年には、境内林を用材に社殿を改築すると共に鳥居・参道石段の改修を行い、更に氏子の山口実一氏により土地の寄附がなされた社地が広まり、景観は一新した。
なお、当社境内にある最も古い石造物は、安永七年(一七七八)の手水鉢で、これには「中嶋観音組 田木村講中」と刻まれている。(「埼玉の神社」より)
小田原神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)