青鳥山妙昌寺。東松山市神戸にある日蓮宗寺院
妙昌寺の概要
日蓮宗寺院の妙昌寺は、青鳥山と号します。妙昌寺は、青鳥城主藤原斎心入道利行(妙照院斎心入道)が開基となり、弘安4年(1281)に青鳥(石芦村小名青鳥)に創建、日仙が開山したといいます。当寺の日蓮供養板石塔婆は埼玉県有形文化財に、妙昌寺板石塔婆・日蓮上人祖師像は東松山市有形文化財に、それぞれ指定されています。
山号 | 青鳥山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙昌寺 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
住所 | 東松山市神戸1121 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙昌寺の縁起
妙昌寺は、青鳥城主藤原斎心入道利行(妙照院斎心入道)が開基となり、弘安4年(1281)に青鳥(石芦村小名青鳥)に創建、日仙が開山したといいます。当寺祖師堂の祖師像は、日蓮上人が佐渡へ流罪となった際、中老日法が彫刻したと伝えられ、東松山市有形文化財に指定されています。
新編武蔵風土記稿による妙昌寺の縁起
(神戸村)
妙昌寺
日蓮宗、下總國葛飾郡眞間弘法寺末、青鳥山と號す、古は近村石橋村の内今の小名青鳥にありしが、天文年中此地に移りしと云、當寺草創は弘安四年にして、開山日仙は元徳二年十月廿二日示寂と云、本尊三寶を安ず、
鐘樓。寶永元年鑄造の鐘をかく、(新編武蔵風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による妙昌寺の縁起
弘安4(1281)年の創立。開山日仙。開基妙照院斎心入道。寺は池上法縁・住職は潮師法縁。創立時は青鳥の地にあったが、戦国時代に兵乱を避け現在地に移転。明治27年火災のため焼失。昭和44年10月、39世日典が本堂建立。文永8年、宗祖流罪の砌、師弟別離の悲哀を秘めて、中老日法が彫刻したと伝えられる祖像を奉安。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
妙昌寺所蔵の文化財
- 日蓮供養板石塔婆(埼玉県指定有形文化財)
- 妙昌寺板石塔婆(市指定有形文化財)
- 日蓮上人祖師像(市指定有形文化財)
日蓮供養板石塔婆
この板石塔婆は当時の日願が貞和二年(一三四六年)、宗祖日蓮上人の六十五年忌に二十六人の結衆と共に、上人の供養のため建立したものです。
高さ一六〇センチ、幅四〇センチの塔婆で、日蓮宗独得の文字になる前の謹厳な特徴のある文字で書かれています。当地における日蓮宗の普及等を知る歴史資料としても重要なものです。(東松山市教育委員会掲示より)
妙昌寺板石塔婆
この寺には日蓮宗関係の板石塔婆が十数基あります。その中で、文明十三年(一四八一年)建立のものは、高さ一三四センチ、幅四一センチあり、典型的な日蓮宗の板石塔婆で、独特のひげ文字で、お曼荼羅が刻んであります。守り本尊である鬼子母神と十羅刹女も刻まれています。このように鬼子母神まで刻んだものは日蓮宗の題目板碑の中では珍しいものです。(東松山市教育委員会掲示より)
日蓮上人祖師像
妙昌寺は日蓮上人ゆかりの寺で、かつては青鳥城の付近にあったと伝えられ、山号も青鳥山といい、開山は日蓮上人の高弟日仙で弘安四年(一二八一年)の創草と当寺の縁起にあります。
像高六八・五センチの檜材寄木造りで、お姿は紫衣に袈さをまとい、左手首に念珠を、両手で経巻を持ち、畳座の上に坐しています。像本体にも法衣や袈さが刻まれています。室町期のものと推定され、県内絵は等身大のものとしては数少なく貴重なものです。(東松山市教育委員会掲示より)
妙昌寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「日蓮宗寺院大鑑」