祝融山萬松寺。徳川家康の命により出家した酒井某の三男太吉が創建
萬松寺の概要
曹洞宗寺院の萬松寺は、祝融山と号します。萬松寺は、酒井某の三男太吉が徳川家康の命により出家して仙空と号し、渡邊彌之助光を開基として三河国八名郡に天正11年(1583)創建、徳川家康の関東入国に従い、渡邊彌之助が当地を領有した際に、当寺も当地へ移転したといいます。徳川家康も鷹狩りの折にはしばしば当寺に立ち寄り寺領を寄付、慶安2年(1649)には幕府より寺領10石の御朱印状を受領しています。中武蔵七十二薬師57番です。
山号 | 祝融山 |
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院号 | - |
寺号 | 萬松寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
住所 | 東松山市柏崎341 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
萬松寺の縁起
萬松寺は、酒井某の三男太吉が徳川家康の命により出家して仙空と号し、渡邊彌之助光を開基として三河国八名郡に天正11年(1583)創建、徳川家康の関東入国に従い、渡邊彌之助が当地を領有した際に、当寺も当地へ移転したといいます。徳川家康も鷹狩りの折にはしばしば当寺に立ち寄り寺領を寄付、慶安2年(1649)には幕府より寺領10石の御朱印状を受領しています。
新編武蔵風土記稿による萬松寺の縁起
(柏崎村)
萬松寺
禅宗曹洞派、郡中野本村無量壽寺末、祝融山と號す、慶安二年寺領十石の御朱印を賜ふ、本尊釋迦を安ず、開山を仙空といふ、旗下の士酒井某の三男にして太吉と稱し遠州の産なりしが、東照宮の台命に依て剃染し、且其智識を賞せられて、天正十一年旗下の士渡邊彌之助光を開基として三州八名郡和田村に一寺を建立せしめ、祝融山萬松寺と號す其後文禄年中當所を彌之助に賜はりしかば、彼寺をも爰に引移せり、爾してより後、東照宮此邊御遊猟の折から、しばしば當寺へ渡御ありて、寺領を御寄附ありしと云、されど寺僧の語り傳るのみにして、慥かなる舊記なければ、其正しきことはしるべからず、又渡邊家譜にも光が當寺を開基せしことみえず、(新編武蔵風土記稿より)
萬松寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」