法音山高済寺。東松山市高坂にある曹洞宗寺院
高済寺の概要
曹洞宗寺院の高済寺は、法音山多門院と号します。高済寺は、齋藤助右衛門(法名高梁院玉嚴道毘居士、元和8年1623年卒)が開基となり、野本無量壽寺第六世大渓和尚(文禄2年1594年寂)が開山、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領25石の御朱印状を拝領したといいます。当寺は、高坂刑部の陣屋跡で、古の領主加々爪隼人正・同民部少輔の墓は市文化財に指定されています。
山号 | 法音山 |
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院号 | 多門院 |
寺号 | 高済寺 |
本尊 | 釈迦牟尼佛像 |
住所 | 東松山市高坂834 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高済寺の縁起
高済寺は、齋藤助右衛門(法名高梁院玉嚴道毘居士、元和8年1623年卒)が開基となり、野本無量壽寺第六世大渓和尚(文禄2年1594年寂)が開山、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領25石の御朱印状を拝領したといいます。当寺は、高坂刑部の陣屋跡で、古の領主加々爪隼人正・同民部少輔の墓は市文化財に指定されています。
新編武蔵風土記稿による高済寺の縁起
(高坂村)
高濟寺
禅宗曹洞派、野本村無量壽寺末、慶安二年寺領二十五石の御朱印を賜ふ、大渓山と號す、本尊釋迦を安ぜり、開山は本山第六世大渓和尚と云、文禄二年九月廿九日示寂す、開基は齋藤助右衛門と云者にて、法名高梁院玉嚴道毘居士と稱す、元和八年五月廿三日卒せり、是村民助右衛門が祖先なり、境内に古の領主加々爪隼人正・同民部少輔が墳墓あり、此地は四方土手ありて、壳堀所々に見ゆれば、陣屋の跡なるべし、一説に小田原北條氏の臣、高坂刑部と云者の屋敷跡と云へど、其據を知らず。
鍾樓。安永九年再造の鐘をかく。
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)
高済寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」